ちちやす日記   こんげつぶんきのうあしたかこぶん


2002年01月07日(月) 冬の雨 テンション低し
 ギアをローに入れたら回転数は上げられない、速度は出せない、代わりに強い力が出せる。気分がローになってるときには、ただ単に低回転・低出力になる。食べて寝るだけ、最低限のことしかしない原生動物並みの衝動。

 高円寺の大きい書店で、年末から探していたコミックス購入。無限に増えても対処しきれないから本を買うのは控えめに、と心掛けていても、特定のジャンルや継続購入中のコミックスは無条件で買っている。気になっていた連載の最終回を立ち読み。回転寿司に行って、みかんなど買って、所用をすませて帰宅。

 感情が眠ったようになっている原因はなにか知っている。年末、帰省直前に(それも電車に乗る道すがらで)口論しちゃったから。感情の行き違いは修復できても、根本的問題はそのまま。目をつぶって時間が過ぎるのを待って、無視していれば日常は平穏。その代償として、嫌悪感や罪悪感を感じないようにしていると、そのうち楽しいことも感じなくなっていくのだ。そういう回路が作動している自覚がある。日常の綻びをどうにもできない。親しい人親戚知人みな放ったらかし、不義理の嵐。ネットでも同様。

 ネットのつながりは日常に比してやはり希薄なのだろうか、そうは思いたくないが、優先順位を考えれば下位に属するのだろう。などと(ある程度)冷静に見ている自分の一部がいる、そういうのはイヤミだなあ。と、合わせ鏡に映る鏡像のように延々と続くクローズドサイクル。
 こういう状態であるから、人に会う気持ちが起こらない。すべきことをクリアしてゆく気持ちも足りない。ボイスメモがお茶を挽いている。やれやれだ。

 余暇には絵だけ描いて、自分の内側の柔らかいところを見ている。ひとのはなしをあまり聞かず、ぼんやりとしている。自閉サイクルに入っている。ひとりにされると底無しの不安に陥るくせに、他人に対して同じことを強要してはいないか。だけど気遣う余裕もない。
 彼と一緒にいる意味は温もりと安心感だけなんだろうか。彼は猫よりは犬タイプだと思う(今後は「ただきちさん」と呼ぼう、と昨年末に思い付いて、たしか書いていなかった)、自分のやり方が確立しているあたりは猫っぽいが。

 高円寺で買ってきた「とよのかいちご」、おそろしく糖度が高く、これまでにないほど美味だった。先を争って食べてしまう、もうひとつ買ってくれば良かった。2人で1パックでも十分に贅沢なんだけど(貧乏性)。おいしいのはちゃんと分かる。でもやっぱり感情の針(アナログ表示)の振幅は小さい。

 おおっぴらに見せられない絵を一枚描いてしまう。そんな絵を描きながら瞳孔散大、動悸亢進、以下略。理性は欲望を否定し、ノートから破り取ってしまった方がいいだろうかと心をかすめても、肉体の反応は正直。やっぱヘンタイだ俺。そんなの自分だけじゃないって知った現在でも、どこかに罪悪感。腹筋百回。昨日より楽にできるようになった。日々状態が変化してゆくことは興味深い。

 夜半から明け方にかけて、ひさしぶりの降雨をみる。雨滴が屋根を叩く音を聞く。あれは冷たい冬の雨で、これから年で一番寒い季節がやってくる。春の訪れは、まだだいぶ先だ。


かこぶんきのうあした
ちちやすになんか送る




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