ベルリンの足音

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2009年12月06日(日) 第二降臨節 ・ Julian Lennon雑考

そういうことで、第二降臨節となった。
その関係で、息子のギムナジウムのコンサートが教会であったり、明日締め切りの翻訳に追われたりと、なかなか忙しい日曜日であったが、気持ちはなんとか静かであったと思いたい。


全然関係ないのだが、ちょっと思ったことで、それをどこに書いていいやら、ブログなき今となっては、ここに知るしかないので、記録する。


私がレノンファンであるのは、周知の事実である。
なぜ、彼の前妻の息子が、音楽活動をしていたにもかかわらず、突然その活動を止め、世界から姿を消し、レストランなど経営し、マイスペースあたりでしか、声を聞くことができなくなったのか、私にはなかなか理解できずにいた。
彼は、私より3歳年上だが、ほぼ同世代である。

それなりの才能を授かって、デビューで花開いたにもかかわらず、かなりたってからインタビューで、父親を許せないと言うようなことを堂々と語っていたのには驚いた。その頃、彼はもう40過ぎていたのではなかろうか。

ここのところ、おそらく2005年ごろ、母親が再び、JOHNという題名で当時のお互いのバイオグラフィーのようなものを執筆出版したのをきっかけに、息子のJulianもメディアに顔を出すようになった。

母親を全面的に支えており、レノン所有物の展示会だのなんだの、そういったイヴェントも、レノンの故郷リヴァプールにて協力して企画してるようだ。


彼女の本を読んだが、正直な人柄と素直な性格がにじみ出ており、批判に値するような毒を持たない彼女は、メディアでも彼女に対する扱いが温厚である。
しかし、文章そのものは、作文に近く、心に響く部分は多くあるのだが、自分お思考や苦しみ、悩みを深く掘り下げて見ると言う経験が少ないのか、能力が少ないのは、果てはそういうことはしないと言う合理主義なのか、あまり作文以上の力量を見せることはできなかったと言うほどの内容であった。

レノンのような人間と離婚劇をしたからには、もっと精神的葛藤や、精神的やり取り、修羅に至るようななじり合いさえあったっておかしくない。それほど彼は複雑であるし、自分勝手であり、しかし非常に傷つきやすく、不安定な精神状態を抱えている男であった。

それが、彼女は始終何も言わないで時が過ぎていくのである。レノンが勝手に洋子を連れ込んで、彼女は怒りで出て行くが、彼にそれをぶつけないのである。最初に出会った頃から、彼のことを恐ろしいと思っていたという反面があったが、それは、終わりに至るまでそうであったらしい。
と言うことは、彼女自信、あそこまでドラマチックな人生劇の裏で結婚生活を送っていたにもかかわらず、一緒に、共に歩まなかった、あるいは歩めなかったのではないかと言う感じがする。

レノンは、家にいる時間は、初期の頃はほとんど無かったし、サテリコンのような様で、酷い遊びを行っていたと言うことにも、ビートルズの女性陣は、納得ずくで我慢せねばならないと言う面もあったろう。
しかしながら、大人に成長していく二人が、本当に精神的につながっていたのなら、共に歩んだ軌跡というものがもうちょっと見えてもよさそうなものであるが、彼女の言葉からは、傍観し続け、我慢し続け、おとなしくし続けてきたという時間しか見えない。おそらく、彼女には物申す内容すら浮かばないほど、素直な人間で、捨て去る努力を要するような、プライドの高さすら持ち合わせていなかったのであろう。

だから、若かりし頃のレノンと共に、暮らすことが可能であったのだろうし、レノンも彼女をかわいらしいと感じていたに違いない。

しかし、猛々しい若者も、年齢と共に成長していくのは止むを得ない。レノンは、基本的に恐ろしく内向的なので、実は内へ内へと考えを深めていくタイプである。社交家で、華々しい成功を求め、真のエンターテイナーと呼べるマッカートニーとは、根本的に違うのである。

ヒットソングをかけないと暫し悩んだこともあったレノンだが、彼の曲はもっと食いついてくるように語り掛けてくる。同じ感性を持った人間には、たまらないほど鋭い力で、問いかけてくるのである。
彼の音楽の軌跡を見ても明らかだが、彼自身の心の動きと彼の創作活動がシンクロしている。彼の音楽は多くの場合、カタルシス的に自分の療法として現れていることがほとんどである。それに対しマッカートニーは、常に安定して世の中の需要にぴったりと適したヒットソングを書いてきた。

単純に言えば、価値の中心が、外にある場合は外向的であるし、価値観が内面に向いている場合は、内向的といえる。その意味で、レノンとマッカートニーは、対極にあったといっても良い。

さて、その前妻が、ドラッグや、インドへの傾倒を通して、レノンの内向的な精神的活動が深まていく様を指を加えてみているしかなかったと言うのは、信じがたいのだが、事実かもしれないと思うようになった。
彼女は、自著の中で、ドラッグさえなかったら、私達はまだ一緒だったかもしれないと言うことを言っているが、それを読んだとき、私はその短絡的な解釈にほとんどショックを受けた。
いかに当事者だとしても、それほどまでに関係の終焉を簡潔化して納得するのは、なかなか難しい。
私も離婚経験者だが、その前後につむぎだした思考の糸は、無限に近く、ああでもない、こうでもないと自分に原因を探し、相手に原因を探し、世代に答えを求め、文化背景に影響を探し、果てはさかのぼって互いの育ちに埋められぬ穴を見つけ、また自分の身に帰ってきて、二人の成長線を心に描き、どこでそれてしまったのかと、その思考趣向の相違にまで思いをめぐらせた。
それは、決して解けることのないこんがらがった毛糸のようなカオスであった。

決して、あそこがこうでなかったら、とか、あの時ああしていたら、出とめられるような、または方向転換できるような、そんな問題ではなかった。それなら離婚などしなくてすんだのだ。

問題は、複雑で入り組んでおり、様々な要素が絡み合って、そうならざるを得ないからこそ、離婚に至ったのである。彼女のように、ドラッグさえなかったらと、離婚後40年たった今でもそう信じているとしたら、やはりそのシンプルな考え方や、ナイーブな性質にこそ、離婚の原因があったのではないかとまで言いたくなってくる。

レノンは、複雑怪奇でインテリな人間であったことを肝に銘じたい。



さて、話が飛んでばかりいるが、今日はこのことに関して書きたいと思い、その気力があるのでどんどん書いてしまいたいと思う。



その息子は、この母を全面的に支えているとは書いた。二人で肩を組んで、母の著書を紹介し、サイン会や講演に出席し、レノンの思い出話を語る。
そして、彼らのファンは、洋子を忌み嫌っている場合がほとんどである。

はっきり言って、私は洋子に対して色々と思いがあり、決して彼女のことを認めたいとは思わない。
でも、この二人の姿を見ていて、微笑ましいと思っても、応援したいとは思えないのである。

そんなに君達は傷つけられ、虐げられたのか。だとしたら、今のその姿も理解できるが、実際人生を通して、未だにそのテーマにしがみついて、本を書いたりインタビューで父を許せないと語るほど、トラウマになったのであろうか。
その辺が、私にはいまひとつ理解できなかったのである。

もちろん、伝記と言う伝記は、全部読みつくし、記事という記事も読みつくしていると言う事実があっても、理解できない。


今晩、携帯のプッシュ機能が鳴り、JulianのFacebookがアップされたと言う知らせが入る。見に行ってみると、新曲が掲載されており、聞いてみると、これまた有名なBeatlesの曲、Lucy In The Sky With DiamondsのLucyが、Julianの当時の幼馴染であったのだが、そのLucyと言う名前を題名にした新曲なのである。

またかよ…

思わずそうつぶやきたくもなる。
まあ、この実在Lucyさんは、この秋若くして亡くなったばかりなので、彼女にささげた歌なのかもしれない。
それにしても、そのコメントにもう父を許せると言うようなことが書いてあって、彼は46だかなんだかになるはずなのだが、そこまで時間がかかるものかと唖然としてしまった。

しかし、ネックになった理由と言うのがごく簡潔に書かれている。


父はインタビューで語った。

洋子との息子Seanは、はっきりと望んだ子である。
Julianは、望まれた子ではなかった。事故だったんだ。

この後、NYに渡ったレノンは、洋子との生活、洋子とのファミリーに心身共に費やし、Julianに会ったのは、離婚後暗殺されるまで、7回だったと言う話もある。
それが、彼のトラウマになっているということらしい。
それは、何度も何度も読んでいたことだったが、今晩、突然、

いや、それもわかるかもしれない。それももっともかもしれない。

そんなことを思ってしまったのである。
なぜだかは自分でもわからない。なぜ今だからわかると言う心境なのか、私にはわからない。

しかし、これはやはり重大なことである。直球でど正直なレノンは、しばしばこのような発言をした。しかし、これが彼の息子の人生最大のトラウマになろうとは、彼自身思いもしなかったことであろう。

結局、こんなことではないだろうか。
私には常々、考えてきたテーマがある。自分では決して左右することのできない運命の一つに、生まれと言うものがある。
そして、もしその生まれそのものに、不幸の種がまかれていたとしたら、具体的に言えば、望まれなかった命としてこの世に生を受けた場合、人間には、根本的に生きていく力を授かっているのかと言うことである。

子供の教育は三歳児までと言うし、生まれてきた子供が3歳になるまでは、愛情をしっかりと与え、自己意識を安定させることが大切だとはよく言われているが、そういうことではなく、もし3歳児まで溢れるような愛情を受けて育ったとしても、その生まれが実は望まれていなかった場合、その子が逆境にぶつかったときに、まるで自分では理解できない地の底から湧き出るような、いわば人生を生き延びていく生命力が、本当に望まれた子供達と同じように備わっているのか、ということをずっと問い続けてきた。

そして、今晩私は、やはり自分の生を父親から、こういとも簡単に公で、Julianは望んだ子じゃなかった、などと言われたら、もしかしたら地面にどんどんひびが入って、自分が恐ろしく小さく思え、周りの人間の顔もまともに見れないような、恐怖感を覚えるかもしれない、そんなことがあってもおかしくないと、感覚的に理解できた。

どんなに自分より劣った子でも、醜い子でも、恵まれていない子でも、彼らには、おそらくその子を望んだ親がいる。
しかし、僕にわかっていることは、僕は親に望まれなかったと言うことだ。

もし、これが事実なら、自分の存在価値を一体なにをものさしにして計っていいのかわからなくなるだろう。生まれるということは、自然界の現象で、そこに望むも望まれるも、そんな倫理的解釈はもともとする必要の無いものである。でも、原始人じゃあるまいし、核家族のなか、小さな子供が育っていくときに、父親がインパクトの強い女性とさっさと外国に行ってしまい、インタビューで自分のことを望まなかったと答え、新しい女性と、不妊治療を重ねて念願の一人息子をもうけたという話を聞いて育ったとなれば、46のいい歳をした男が、未だに父を許すの許さないのと言うのもわかるような気がしてきた。

結局、私の話題はまた、レノンの前妻のCynthiaに戻るのである。
彼女は、前述したような通りの女性で、何の罪も無い、まさに無実の人である。息子にも愛情を注ぎ続けて、立派な大人に育て上げたのである。彼女が、弱い人間なのかといえば、決して弱いのではない。言うべきことを言わずに、そのまま「離婚されて」来た女性というと、まるで弱弱しい影の薄い人間に聞こえるが、彼女は決してそんなに弱い人間ではないのである。

どこかそれでも芯が通っていて、経済的も自立し(レノンからは信じられない微々たるお金しかもらっていなかった)、再婚相手も見つけるほどのバイタリティのある女性なのだ。話し方も、若干静かだが、抑揚があり笑ったり、泣いたり、とても豊かな感情のある女性だなとすぐにわかる。

しかし、生き延びる力と、自己意識の高さ、安定感は違うのだ。結果から言うと、ナルシスティックな母親が子育てをすると、難しいと言うことである。ナルシズムと言う意味は、決して自己愛が強いと言う病理学的な意味じゃない。そうじゃなくて、他人の補償作用がないと、自分に自信が持てないという意味で。

自分が安定するために、または自分がこれでいいのだと思うために、他人の感情や、他人の言葉によってそれを一々確認しないと、確信できない人が多くいる。
私もそんな一人である。
子供は鋭く母親のそういった心情を察知して、母親が必要としている感情のみ表示し、それ以外の感情を抑圧したりする。母親のききたい言葉をさっと言って、本当は言いたいことを我慢していたりする。
それは良い子でいたいという欲求からなのであるが、良い子でいたいのはなぜか。
なぜなら、母親自身が自分の精神状態や、人間形成や、人生の問題で手一杯で、子供のことを愛しいと思っても、子供からもママはこれでいいのだろうか、ママのこと好き?、ママはがんばっている?などと無言の質問を突きつけていることがあるのだ。
そして、このような母親もまた、同じような母親に育てられた犠牲者といってもいいらしい。

Julianの母には、最低限の性格的強さや、人間としての張りは備わっていたが、自信の無さにかけては、トロフィーものといっても良いほど、セルフエスティームが低かったことは間違えない。それはレノンの度重なる浮気もあったろうし、アイドルとしての夫を失う不安もあったという様々な背景が複雑に絡み合って、彼女のセルフエスティームの低さは改善されることが無かったのであろう。そういう母の元に、大切に育てられたJulianは、父親の発言を知って、俺にはそんな発言、どうだって良いと言える地盤が無かった。一年、二年で消化できる地盤が無かったのかもしれないと、ふっとひらめいたのだ。

地盤がないといえば、まるで彼も軟弱ひ弱な感じになってしまうが、あの父とそれなりに人生を乗り越えてきた母親との子である。簡単につぶれるような貧弱な性格ではないはずだ。しかし、結局感受性が強いから、つまり非常に繊細な人間だから、一言一言が余計に突き刺さるのであろう。そして一々貴人の価値と結び付けてしまうのである。
それこそが、ナルシシスティックな母親に育てられたことの証であるし、無神経な子供なら、そんな母親の無言の問いかけを踏み潰すように、無神経そのものに図太く育っていくのであるが、才能があったり、繊細で利口な子供ほど、そのコミュニケーションの「裏側」にある言葉、行間のようなものを本能的に読み取るのである。

Julianは、自分の生まれに付随した「傷」に深く傷ついた。そんなにみすぼらし子供でも、親に望まれたなら胸を堂々と張って生きていけば良い。しかし、僕は、父親にも母親にも望まれなかったと悟りきってしまったら、それは思春期の子供には、突き刺さるような痛みであろうと思う。子供時代に一回終止符を打って、思春期、青年期に移行する際、子供時代を締めくくれない子供がおり、中には自殺してしまう子供達も多くいるという。

Julianは自殺こそしなかったが、精神的にその代わり、彼は父親を殺したのだと思う。オイディプスのようであるが。その父親と今和解することができると、そう彼は語っているのだとわかってきた。

それにしても、悲劇的な話である。大スターの息子だからゆえもあるし、離婚後、母子家庭ではないが、母だけが肉親であるという家庭に育った男児の問題でもあるし、もっともいけないのは、実父が養育に関する一切を経済的なことを除いて、拒否したと言う点であろう。


ところで、無駄話だが、この離婚で彼女がもらった慰謝料というのは、レノンが洋子の前夫に払った慰謝料の3分の1とも4分の1とも言われている。Julianへの養育費も、スーパスターからは考えられないほど、微々たる物であるらしい。


Julianの歌声を聴いた。それは張りを失い、つやを失い、ほとんど震えているように不安定な歌声であった。彼の顔は、父親よりもいっそう母親に似ており、声色も父親とは根本的にかけ離れたものである。

その男が、父親の歌を題材に、今和解できると銘打って、小気味良い明るいポップソングをリリースしたという。
私は、なんとも言えない心苦しい気持ちになって、ほとんど同情の気持ちがわいてきて、これを書いているという次第である。

ご苦労様でした。
親にされた仕打ちというのは酷い言い方だが、親が偉大なのも楽ではない。また、レノンもそんな発言を世界に向かって発言するようなナイーブな面を持っていたのだからしょうがない。こういうときこそ、抑制、自己制御という言葉を思い出さないといけないと思う。
自分に正直で、心に正直に洗いざらい言えば許されるということは、大間違いである。

正直さゆえに傷つく人が多くいる。
息子はある意味、この言葉の犠牲になって、生まれを検証する作業に入ってしまった。そこで母親が安定して、精神的に極めて健康な人間でなくとも、せめて無神経な図太さでも持っていてくれたならまだしも、繊細で感受性が強い上、息子の自己肯定の答えを与えられるような土台など持っているはずもなかったのである。彼女こそ、私はこれでいいのかと、更に問い続ける人生に突入しており、Julianが青春時代多かれ少なかれドロップアウトしたのは、もっともな結果だったといえる。

50を前に、彼はオイディプス同様、放浪のたびを終えたらしい。失明こそしていないが、オイディプスがテゼウスに保護されたように、彼にも聖林のような、聖家があるのであろうか。
ちなみに、彼は結婚もしていなければ、子供もいない。無論、そこはオイディプスと違うのであるが、Julianがそこに至れなかった理由、つまり彼の放浪の旅の全面が、今晩パーッと視界に広がった。

ある意味、これからも、こうして皺を増やしながらも、父親の影との戦いをまだ続けていくのかと思うと、落ち込むのだが、運命は本当に厳しい。

父親を殺した後の旅は終えたのだ。
早く、聖林に入って、女神達となぞの死を遂げるような方向に進んでもらいたいと思う。



洋子のこと、レノンと彼女の息子Seanにことにも、こうして綴ってきたこと以上の思いがある。

また体力と気力があるときに、書いてみたい。

レノンファンじゃなかった人、長々と無駄口をたたき、まことに申し訳ありませんでした。

また日記でも普通に書いて行きたいと思います。





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