ベルリンの足音

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2009年12月04日(金) 日記の価値を見直した

ここで日記を書き始めたのは、もう5年以上まえのことになる。2年ぐらいかいて、使いかってが良く、興味を惹かれてブログサイトに移った。いくつかのブログを管理してきて、幸いなことに、嫌なコメントをもらって不快な思いをしたこともなければ、誹謗されたこともない。

けれど突然嫌になった。友人と繋がっていることさえ煩わしい。
皆一応に愛情のあるコメントを残してくれるのにである。
結局、そういうバーチャルな関係、というか、関係でもないような繋がりを煩わしいと言えば弊害があるが、必要ないと実感したのであろう。

ブログには、詳細に書いてあるが、ウェブ世界に支配されているという感覚、また支配されているのかという疑問すら抱かない万人に、突然嫌気がさした。
ウェブスペースは、私がその程度と範囲を決めるのであって、あちらの世界の管理と情報に自分が振り回されたり、気が散って集中力が欠乏するのは、後味が良くない。まさに日常生活が軌道を離れつつあるという感覚だ。

大体、交流を求めて発信する文章を書くことに、嫌悪感を覚える。
無論私は書いたことはないが、「皆様お元気ですか」で始まるブログには吐き気をもよおす。一体どんな関係の誰に問いかけているのか。そして内容のあまりにもないブログを読む時間の無駄。素晴らしい情報提供、オピニオンを発している優れたブログをいくつも購読しているが、限られた書き手である。
遠方の家族のためのブログをとやかくいうつもりはないが、主婦や若い女性が、下品に自分のプライベートライフやインティミティを恥ずかしげもなく暴露して人気を誇るサイトなどに突き当たった際は、良い大人の品性と知性を疑ってしまう。

そんなピンからキリまでのウェブ世界に、やっと出来た暇な時間、何故か振り回されている自分を発見した時の感覚は、冷や汗に似ている。

そんな折、日記サイトの価値を再発見した。
文章は書きながら自分と対話して行くから発見があり、人柄が出る。人の反応を意識して書きつつ、自分の本性をしっかり植え込むのは難しい。
私はそれなら一主婦が、日々思い悩み考えを重ねて、うんざりする自分探しをしている文章を読む方がよっぽど面白いと思う。
本質のない抜け殻のような、ひどいものは程度の低い笑を狙ったような卑しい文章は、なんの意味もないどころか、不快である。

更に、質の良い文章と内容でも、コメント管理の煩わしさと、時に過剰に和を強調したコメントのやりとりをみると、結局他の中で書くからには、制限があると実感する。
私が書くのは、自分を戒め反省し、なんとか真っ当に生きるために、考えを整理したいからだ。友人にすらみせたくない葛藤や個人的プロセスがある。
しかし紙にはかけない。

このサイトでブログ風の内容であるものも多くある。しかしやはりブログでは無いため、多くの文章は内向性である。そういういくつもの、普通の日常から生まれる正直なこころの声を読むと、共感を得ることが多い。自然体に正直に綴られる日常がいかに退屈でも、それが人生であり、細かいつまらない積み重ねが、私たちの毎日なのだ。
私が非公開にしないのは、そうしたつまらぬ地味な日常の数々が織り成す人間模様の一片でありたいからである。マクロに属するミクロコスモスとして参加したいからである。

子供たちの写真を記録し、文章を書き、簡単に日記にできるのは嬉しい。
しかし、私のように時間がないと、出先から思ったことを書留めるには、携帯からのアップができると、最善なのだが、流石にそこまで便利さを追及する方が間違っているのだろう。

今後どこで隠れて日記を書くか未定である。


momoline |MAIL

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