ベルリンの足音
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2009年09月17日(木) |
引き続き、自分と共にあること |
罪の意識なのか、孤独なのかさっぱりわからない。
心が、休養を求めていて、何もしたくない。
外に出れば、秋の日差しにありがたみを覚え、日常の仕事はこなしている。
人恋しいのか、人と話したくないのかさっぱりわからない。
何かが壊れていることだけはわかる。それがいずれ修復されることもはっきりわかっている。 その二つだけが明らかで、当分はこの事実にすがって生きていくしかしょうがない。
一時期の「感情の苦しみ」よりは、はるかに安定した状態なのに、何かが深く壊れているとは、一体どういうことだろうか。
日ごろ読んでも頭に入ってこなかった文章が、するする心の中に進入してくる。
普段、背景に流して聞いていた音楽をヘッドフォンで聴くと涙ぐんでしまう。
すべての感性が敏感になっているというのは、結局魂が裸なんだと思う。
何の洋服を何のために脱ぎ捨てたのかわからない。
守ってほしいと期待できる間と、守ってほしいと期待する対象もないことの違いだろうか。
守ってほしいなんて、口に出していったのはもう十年以上も前。 ここ十年は、守ってくれなんて口が裂けてもいわない。 一人で生きていかれる、精神的にも経済的にも自立した女になると決心して以来、実際そうしてきたではないか。
でも、このごろ、守ってほしかった自分に気がついてしまったのかもしれない。
でも、それも悪くない。
正直に、自分の卑しさも弱さも全部飲み込んでいかないと、自分を見失う。
何のためにがんばってきたのだろうか。 おかげ様で、モンスターのように強いといわれる。
そう見えるだけの私、そういう技術を身に着けただけの私を見破ってくれる人はいない。
それで、自分のために買ってきた、ちょっと高いワインを飲んだ瞬間に、涙がほろほろこぼれたんだと思う。
本当は、着実に前進しているのに、やはり得るものがあると、失うものもあるみたいだ。
繰り返し繰り返しやってくる、気持ちの動揺、失う悲しみ、得る喜び。 何回人生で同じ感情を味わっても、麻痺することはないらしい。
きっと私が今、下降状態なのは、それだけ厳しい決心をして、ひとつの引きずってきた問題に決着をつけたからなんだと思う。
きっと、今回は今までになく真剣に、厳しく、はっきりとすっぱりと決心を下したので、それだけ自分にも厳しい精神を要求されているのだと思う。
結果論としていえば、そういう決心こそ讃えてあげたいではないか。
自分に酔って涙を流す人間が大嫌い。
でも、一人でこっそりするならば、それも治癒のステップかもしれない。
あんまり自分に厳しくしないこと。
リラックスして観察すること。
もうすぐ、もうすぐ上昇。
必ず上昇。
私は、それに関してもとっても上手。
ありがたいことに、自分に対する信頼感が十年前よりも倍増している。
そう思えば、目的なしにがんばることも、計算なしにただ一生懸命であることにも、ずいぶん意味があるのだ。
小利口にはなれないけど、強くはなれるものなんだ。
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