二ノ宮啓吉の区政日記
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2007年08月22日(水) 帝政時代の遺産

 

1703年ピヨトール大帝よって開かれた街サンクト・ペテルブルグは
ペテログラード、レニングラードと名を変え再びサンクト・ペテルブルグと変わり、革命の理想・その挫折、第一次大戦より幾多の包囲もをくぐった悲劇ほ乗り越えて参りました。
1917年最後の皇帝ニコライ二世時代に、ロシヤ革命で最後の皇帝となりロマノフ王朝の栄華と終焉を迎えた。
 マルクス・レーニンによる共産主義が帝政時代の遺産に対してスターリン時代と受け継いだ遺産が無くなっているのではないかと心配していた。
 


中国の文化大革命の様にブルジュワ的遺産・寺院も破壊されているのではないか、たいした物は無いのではないかと思っておりましたが、とんでもない
エリチン大統領はロシヤ民族遺産として燦然と輝き文化と芸術の宝庫として是非若い人に見てもらいたい遺産です。

 面白い話がある
ガイドのモスクワ大学を卒業した彼女は日本の大学に日本語の勉強に来た時の話である。
 日本の学生に「ロシヤはひどい廣島や長崎に原爆を落として終戦を迎えて
カラフトや千島列島を占領してしまった」と本気で話されて、彼女は「アメリカが悪いのだと」言ったがなかなか理解してくれなかった。「くやしい」
と。
いかに日本の学校で近代史を教えてないか?、もっと国の歴史や国を愛する基本を学校で教えないのは、彼女に解らないと嘆いていた。

それと
ロシヤに観光で来る国でドイツ・アメリカに次いで4−5番目と聞いたが、日本円がなかなか両替え出来ない、ドル・ユウローは何処でも替えられるのに、何で日本円がダメか不思議でならない、
しかし現実は少し違っている街では日本人を見ると、千円・千円とガイドブックや人形を売っている、国民は現実主義で日本人の豊かさにあこがれていた。

ペレストロイカ後はロシヤ正教を保護し、国民の多数が礼拝に来る事が多くなっているとの事。沢山の神父・修道士を見かけた。


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