二ノ宮啓吉の区政日記
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2004年08月15日(日) 私の8月15日

 今年も日本武道館での「全国戦没者追悼式」が天皇皇后陛下をお迎えして
正午に行われた。
 昭和20年8月15日は大変良い天気で私は母方の実家「神奈川県厚木」に縁故疎開をしていた、相模川で水浴びをしいてたら、疎開先のおばさんに
ラジオでなにやら天皇陛下のお言葉があるので早く家にかえれとの事である
 中身は理解出来なかったが、目黒の家に帰れる事だけは教えてくれた。
目黒区でも8月5日の日に祈念式典を行ったが、言葉の上だけで何も共感を
覚えない、TVでの「子供達の戦争」や、ある区では戦時中の品物を集めて戦争の悲惨さを次の世代に伝えようと努力している。
 国民学校二年生の私は毎日厚木飛行場に飛来するグラマンやロッキードを
木の陰から見ていた、学校も兵隊さんに占領され、近くのお宮さんを借り校舎として勉強をした。いや勉強はしなかった。
やっと父が迎えに来てくれた日は田んぼには稲が無かった記憶がある。
家に帰っても学校は焼けておりその年はあやふやで、やっと田道小学校で
二部授業、教科書も新聞紙の様なものにハサミで切って閉じた記憶がある。
やっと五年生になって下目黒小学校に戻ってきた、その年初めて運動会をした、考えて見ると一年生から四年生まで運動会は出来なかった。
教室は有ったが机と椅子が無い教室で、各人みかん箱みたいな物を持ってきて床に座って勉強をした。だから勉強が出来ないのかな?
 オリンピックで終戦記念日も敗戦も何処え行ったのやら、平和ですね。
毎日イラクの記事が何人死亡・民間人が何人と、世界の平和のためと言うが
平和維持活動の自衛隊の皆さんに不幸な事が起こらないように祈りたい。


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