二ノ宮啓吉の区政日記
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2004年08月13日(金) 世界遺産・熊野の古道と高野山

 8月に入り、世界遺産のページが多くなり、急に観に行く事と成った。
旅行社で新幹線の切符を求め、時刻表を買って京都を目指して出発。
 一日目 京都から奈良線で奈良まで出て関西本線で王寺を経由して和歌山線で橋本まで出る、なんとなんと時間が掛かるのか、単線で各駅停車、JRでの安い料金がたたった、橋本から南海線で極楽橋からケーブルで高野山に着く。
 なんと朝8時に品川を出て2時になって高野山に着く、杉林の静寂の中に
各大名の墓が並び、企業の顕彰墓が奥の院まで続いている。
私は3度目で感激は無いが女房は何か神聖なものを感じたらしい。高野山町を一回りして高野山駅に戻るが、次の目的地えのルートが無く、又元の橋本に戻る。五時ごろになり先の計画が立たないので、橋本から又和歌山線でごとごと和歌山駅に向かう、とうとう和歌山に着いたのは七時ごろになる。
今日は和歌山泊まりとして、駅前でホテルを探す、「東急イン」和歌山城がライトアップされ綺麗、。
 二日目 和歌山城を見学して駅にて紀伊勝浦まで「きのくに線」くろしお3号で紀伊勝浦につくなんと9時38分から12時16分着、約3時間掛かる。
ホテルは「中ノ島」に昨日予約を入れたので安心して観光に向かう。
新聞の「熊野三山」を見学すると決めていたので、観光協会でバスかタクシーか交渉。
「熊野古道」の一部を歩く4−5百メートメ歩いてギブアップ。
熊野那智大社、那智山青岸渡寺は隣同士神仏混合の時代の神社と寺院が隣同士で競争だ。
日本一の滝「華厳の滝」を見て又勝浦に戻り、今度は新宮市の熊野本宮大社
に向かう、なんと1時間半タクシーに乗りっぱなし、小高い山の中にお社が
立ち並び昔大水が出て,山の上に移転したとのこと、川岸に大きい鳥居が立つ
又女房の大学の卒論に「後醍醐天皇の和歌の研究」を出したので関心がある
39回の熊野詣での記録を見て当時の天皇家の熊野信仰を改めて認識する、そのときの熊野詣でが無くば「熊野古道」は無い。
「熊野速玉大社」は町の中にあった、中に入ると朱色のお社、全国の熊野神社の総本家との事、これで熊野三山を見た事になる。
ホテル中ノ島に五時半に着き、ゆっくり休む。
 三日目帰路を和歌山回りにするか、伊勢回りにするか観光協会に電話で調べる。 紀伊勝浦から名古屋へ出るコースを決めワイドビュー南紀6号で
名古屋にでる、新幹線に乗ると、なんと快適な列車の旅のありがたさが感じる。
これで紀伊半島を一回りした事になる、残念な事は南紀白浜で泊まるれなかった事が残念、高野山に向かう路線を間違えた事が時間を費やしてしまった
★ 若い人はスニーカーを履いて、杖を持って、熊野古道を汗をかいて歩く事をお勧めいたします。古の天皇の熊野詣でが実感出来るでしょう。




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