LORANの日記
DiaryINDEX|past|will
愛は優しくすべてを認め受け入れてくれる。 傷ついたこころを抱きしめ癒してくれる。
そんな愛のイメージを誰もが持っています。 仏教の観音様や聖母マリアにそのイメージを持つ人は多いでしょう。
確かに傷つき嘆いているときには癒しが必要です。 失ったものが大きく、傷が深いほど回復までには時間がかかります。
お釈迦様を訪ねてきた女が亡くなったばかりの子供を抱いていました。 子供を生き返らせてくれるように頼みました。お釈迦様はどの家にもある香辛料の からしの種をもらってくるように言いました。今まで死人を出したことのない家から。 女は亡くなった子供を抱きながら、必死で家を回りました。しかし、どの家も死人を出していて、女に同情しました。それで女は死ぬことは当たり前であることを理解しました。
傷が癒えてきたら新しい出発が始まります。 いつまで嘆き悲しんでいても仕方がありません。
そこで誰かが背中を押してやらなければなりません。 「さあ、もうこれ以上嘆いていてもすべてが戻るわけではない。出発しよう。」
これを言うのは本来は男親の仕事です。母親が代わってすることもあります。 男親が事業で失敗したようなときには「健康なら大丈夫よ。」と。
いつまでも前に進めない人には、この役割をしてくれる人がいないのでしょう。
|