LORANの日記
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TOPページを代えました。 その文章の中で「食物連鎖」という言葉がありますので、それについて書きます。
中学校で「食物連鎖」について学びます。 私は子どもの教科書や参考書を古紙へ出すように頼まれて、まとめているときに 読みました。
土が植物を生み、植物が動物(魚・鳥)を育て、動物は土に戻るというお話です。 そこまでは知っていましたが、その連鎖サークルの外にただし書きがありました。
「人間はこの連鎖から外れて存在しています。」
私はビックリしました。 「食物連鎖」は地球の生物すべての法則ですから、もし、これから外れたら大変です。 そんなことになったら人間は滅亡するに決まっています。 もし、神様がいたら、そんな存在を許すはずがありません。
ライオンも象もくじらも、死んだら他の動物の食料になります。 その残骸は土に戻ります。
数々の神話に「人は土から作られた。」とあるのは、その理由です。
私たちは一生の間に植物や動物の無数の生命をいただいて生きています。 生命はローソクのローのように、そのままでは燃え尽きてしまいます。
私たちに生命というローを与えてくれた植物や動物は、私たちのローソクに 加えられて燃えています。
私たちはその生命と共に生きています。 わたしたちの生命は「共有」の関係にあります。
ですから、私たちが死んだら、その遺体を他の食料にするのが正しいのです。
もし、遺体を食料にされるのは残酷というなら、他の植物や動物を殺して食べる残酷なこと をやめなければなりません。 でも、それは不可能です。死んでしまいます。
世界中には、鳥葬、水葬、風葬、土葬などがあり、動物や微生物の食料になっています。
火葬はペストなどの伝染病が流行したことと、高僧が煙となって昇天することを イメージして起こったと思われます。
私はかねてから、「私の遺体は海中へ捨ててくれ」と言っています。 多くの魚やプランクトンが食べてくれ、それを大きな魚が食べてくれます。 この世で食い逃げをするのは、自分が借りを残すようでいやだからです。
親鸞は「私が死んだら賀茂河(鴨川・加茂川)に捨てよ。」と言っています。
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