飛翔睡夢
ゆうちゃんによる姉妹日記

2002年02月15日(金) インターネット。

インターネットは世界と繋がっている。それは嘘ではない。
けれど、それはインターネットでなくても同じ事だ。
道を歩き、船に乗り、ただひたすら進めば、やはり世界にたどり着けるのだ。
この箱の中に、世界の全てがあるわけじゃない。

そんなコトを悟るのに、実に3年以上かかってしまった。

初めてネットに入ってから4年以上経った。
きっかけはたわいもないこと。
親にせがんでパソコンとモデムを買ってもらった。
右も左も全く分からず、HPを巡り、いろんな人に出会い助けてもらい、迷惑をかけ、掲示板に書き込み、人様の日記を読み、チャットをし、HPを開いた。
その頃出会った人々を、忘れはしないだろう。
けれども沢山の人々と、連絡が絶えて久しい。
それでも何人かの人は、今でも大切な仲間だ。

そしてあれから長い時間の中で、凄く沢山の人達と出会った。
顔も知らない、声も知らない人もいれば、付き合った人もいる。

そんな中で実感として。

インターネットは単に道端と一緒だ。
気が遠くなるほど沢山の人々が行き交う中で、自分が歩いて、居るだけだ。
話をするのはほんの数人。
同じ物に目を留めて、同じ所にふと立ち止まった人達。
大声で喚けば立ち止まる人も増える。
頑張ってチラシを配ればわざわざ立ち寄ってくれる人もいる。
それでも通り過ぎてく人もいる。
ひっそりと落書きを置いておいただけでも、目を留めて立ち止まってくれる人もいる。

ただ、それだけ。

何も、特別なコトじゃない。
自分も、特別なトコロにいるわけじゃない。

この声と、この手で、語り合い、ふれる人々と、
この字と、この目で、語り合い、ふれる人々と。
語り合うこともなくただ同じ電車に乗っただけのすれ違う人々と、
語り合うこともなくただ同じ画面を見てただけのすれ違う人々と。

何も変わらない。

ココは道端だ。
自分はココにいる。

誰が来ようとも、誰が来なくとも。

手を繋ぐことが出来るのは、一度には2人まで。
語り合えるのも、一度には10人もいないだろう。

結局、自分が向き合っているのは世界であっても世界の全てではない。

空を見れば地面が見えない、それと同じように。

自分が向き合えるのは、自分の中にある、自分の触れる世界だけだ。



で、だ。

やっぱり人間が人間である以上避けられないことなのか。
避けることなど出来ないのか。

仲間も見つかれば、傷つけ合う人達もまた、出会ってしまう。

避けられない。

何故なのだろう。

こんなに沢山の人が居て。
こんなに沢山の仲間が居て。
こんなに沢山の―――やるせない不条理が、ある。

何故、悪意もなく人は人を傷つけてしまえるのだろうか。
何故、悪意を持って人は人を傷つけてしまえるのだろうか。

何故。


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