恋愛至上主義
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2005年08月16日(火) |
We are Sneaker Ages 2005 |
今日、というか昨日は軽音の大会SAでした。ギリギリまで行くか迷ったけどバィトをずる休みして見に行きました。今まで何回も日記に書いてきたけど、SAは軽音部の最終目標。後輩達はあたし達が出場して、負けて、その月からオリジナルの制作に取り掛かっていたもよう。8月4日がホールリハなのに、8月の1日までメロディが決まらなかったあたしらとは大違い。 軽音部は毎年夏休みはほぼ毎日登校して練習するのが恒例だ。3年は曲を、1、2年は応援の練習をする。それをOBが見にくる、ってのが続いてて、去年先輩は来てくれたし、勿論あたしらも後輩を見に行きました。 12日くらいに見に行ったのかな?中々行けなくてギリギリで見に行ったんだけど、完成度が凄く高くて、人数やパートで揉めて、挙げ句最後までまとまりきれなかったあたしらとは大違い。去年の今頃はあたし達がここで練習してたんだなぁとか思うと少し切なかった。 今日も、10時に起きて準備しながら、去年は午前中にリハがあるために早起きしたなぁ、とか、天気が凄く良かったなぁ、とか考えちゃって、IMPホールに入るとますます重ねてしまった。去年あたしらの席は上手側の一番後ろだった。今回は出場者席ではなくて自由席なので、下手寄りの真ん中より後ろに座った。最前列中央は1、2年が陣取っている。これも恒例というか、とにかく応援するのに一番イィ席をとるために1、2年は朝の6時か7時には会館に並ぶ。昔は10時くらいでも最前取れたらしいけど今は6時でもギリギリらしい。今回は何時から並んだのかな?応援も評価に入るのでみんな結構必死。 13時半開場で14時開演。オープニングがあって選手宣誓が行われる。このオープニングも、変わってなくて懐かしかった。ちなみに宣誓はうちの学校がしました。 エントリーナンバー1番がする事になってて、うちの学校が1番だったのです。 1番はやっぱりプレッシャーが大きぃ。それでも後輩達はいつもどおり、否、いつも以上の実力を出していた。ギターソロを少しトチってたケド、相変わらず歌はうまいし団結してて楽しそう。練習した時も思ったけど、後輩のボーカルは歌が本当にうまい。うまい歌とか聴くと鳥肌たつじゃない?自分の後輩だから贔屓目にみちゃってるのもあるだろうけど、ほんと鳥肌ものなの。オリジの歌詞もメロもよくて。楽しんでるのが伝わってきて。うちらや、あんなに技術のあった先輩達がダメだった理由はやっぱり団結力が欠けてた事による。みんなエンジンかかるの遅すぎたし。だからこそ後輩にかけた。 後輩達の出番が終わって外に出て、ステージから出てきた後輩達にお疲れさまを言って、審査開始は6時くらいなのでしばらく昼ご飯食べたりして時間つぶし。5時くらいにホールに戻って他校を見た。音がずれてて不協和音になってるトコや、明らかに音程低すぎて声でてないのに無理矢理歌うから聞き苦しいトコ、音も歌もめちゃくちゃで「あんまり練習してなくて〜」と笑いながら言った頭の悪いトコ。色々あった。つーか出たくても出れないトコもあるのに練習しないってどーゆー事?中途半端にしかしなぃのなら出場せずに棄権しろよ、と。うちらもエンジンかかるの遅かったけど毎日糞暑い中練習したもん!軽音は凄く嫌われてる部活だったから、部室は狭いし勿論クーラーなんてない。それでもまだましで、あたしが1年の時は縦に畳2畳くらいの物置3つが部室だったから。今は教室半分くらいの部室2部屋と、締め切ったらサウナになる部屋1つと、開き教室2つを使わせてもらえるようになった。でも開き教室は部室じゃないから一々楽器運ばなきゃならないし、風通らないから暑いし、何より音が響くから気を使わなきゃならなかった。本当に軽音は教師に嫌われてたから。風紀を乱すんだった。何が風紀を乱すだよばーか。 だからこそ結果を残したかった。結果を残せばそれなりに待遇よくなるだろうって。 頭の悪い学校のあと、普通なトコが続いて、これはいけるんじゃ、、と思った時に、シード校、K登場。これはやばい、って思った。演奏力だけでなくまとまりも凄かった。応援も。出場22組中2組だけがグランプリ大会に進むことができる。1校はK。だとしたらもう一つに何とか食い込めるかな、と思ったら、また、焦った。名前は忘れたケド会場が沸いて、空気が変わった。圧倒された。Kと、その高校がグランプリススムだろうと思った。 自分の学校以外はみんなラィバルなのに、そのラィバル達を乗せることができるんだから相当だよ。
そこが終わって、審議会。暫らくして、西村達雄の歌。この人は甲子園のテーマソングも担当してて、SAでもゲストとして出演している。余談だけどうちの男どもはこの達雄がなぜか大好きで毎年たつおー!!と叫びまくってる。笑。去年なんて舞台まで走っていってのってたし。今年はさすがにそれはないけど達雄コールはすごかった。うちだけだよこんなに盛り上がってるの。。笑 西村達雄はマジ歌うまい。ジーンとくる。Y元達が達雄ー!と叫びまくってたらこっちに手を振ってくれました。んで舞台からおりて握手したり指差して歌ったり。あたしは間に合わなくて握手できなかった。欝 達雄の、俺たちの純情って歌はマジイィ歌だょ。SAに合ってるし、青春だなーって感じ。 達雄終わったらついに発表。自分の時より緊張した。かなり祈った。結果の前にまた余談。うちの学校の軽音部はまだできて7年目。一度もグランプリ大会に進むことができなかった。毎年悔しい思いをして、その思いを後輩に託した。自分達ができなかった事をやってくれ、と。 1校目、14だか17だか忘れたけど、1から飛んだ。皆があきらめた。もうダメだ、と。今年もダメだった、と。1校目はちょうどあたしらがみてない学校でどんなのかはしらないけど、2校目はKで決定だろうと。
「2校目の発表をします」
「O高校!!」
その時の事はあまり覚えていない。スポットライトで後輩達が照らさる。ただ耳が痛くなるくらいの歓声と、嬉しくて泣きだした子の泣き声と、色々交じってた。あたしらは後輩のトコロに駆け寄ろうとしたけどスタッフに止められた。もう本当に嬉しかった。7年間、7年間誰もできなかった事をやってくれた。この場で名前を言われる事が夢だった。舞台の上で表彰されるのが夢だった。うちの学校ゎいつも3位止まりで、2位に食い込めなかった。その壁を後輩がこえてくれた。一瞬夢かと思った。思ってもみなかった。自分の高校が、呼ばれる。もうあたし達は引退してるけど、自分の事ように嬉しかった。泣いちゃってアイラインの太さが二分の一になっちゃったけど涙はとまらなかった。嬉しくて嬉しくて。今も興奮さめてません。あたしは今、桃谷高校生です。でもまだあたしの中では扇総生なのです。 O高校と呼ばれるのが夢だったから。それが、現実になりました。シード校の柴島を超えたというのも嬉しかった。確かに本番はこれからだ。所詮予選に過ぎず、本選は11月13日厚生年金会館で行われる。10日間の予選で選ばれた2組ずつ。つまり20組で戦う事になる。絶対優勝して欲しい。それだけの実力があるから。あたし達になかったものがあるから。絶対。 そのあとは例年どおりホールの外で集合。だけどいつもと違うのゎ悲しい言葉じゃなくお祝いの言葉をあげた事。みんな笑顔で。しばらくして解散して、3年は顧問と食事、うちらは打ち上げを粋虎伝でしました。近くにセクキャバがあって、2次会ここでしようとかY元が言いだしてマジうけた。打ち上げも楽しかった。このメンバーで集まる自体久々だし。Y元と東君とK君が店に来てくれるそぉです。ほんとかよ。笑 そうそう。私店が京橋にありまして、田舎帰ってるとか嘘ついちゃったもんだから京橋歩くの恐かったのですよ。IMPホールは京橋にあるので。店の人に見つかったらやばい。したらHくんが帽子貸してくれて、それ深めに被ってました。ちなみにY元はサングラス貸してくれるって言ったのですがサングラスに帽子て!余計目立つわぃ! 居酒屋出たあと2次会をカラオケですると言うのであたしは辞退しました。このメンバーが集まる機会滅多にないし悩んだけど辞めた。オールする若さが最近、、 行くのやめとくってゆったら皆に説得されました。特にY元に。笑。でも断って、H君に帽子返そうとしたら大丈夫なん?まだ危ないやろ?かしたげる。ってゆってくるて、でも何時返せるかわかんないって言ったら、別にいつでもいいとの事なのでお言葉に甘えて借りました。無事京橋から脱出できました★
去年のSAも一生心に残る出来事だったけど、今日も一生心に残る出来事でした。特に、高校名を呼ばれたあの瞬間、皆がもうダメだとあきらめた瞬間の、扇町総合高校!は、忘れません。
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