朝日記(合戦中)
毒舌、ネタバレ注意。義経教注意。

2006年11月27日(月) 義経堂と殿語り。

めちゃくちゃ落ちています。
自分なんか死んじゃえよと思う。
生きる意味も価値もないと思う。
何か生きる力が根本からわいてこない。

今日初めて何の理由もないのに仕事に遅刻しました。
何かもう体に力が入らなかった。
生きることに前向きになれなかった。
私にとって義経は本当に価値基準であり、
生命力の原点になっているのだなと改めて思いつつ。
その事実にいろいろな意味で不安を覚えました。

昨日、義経堂の殿は怒っていました。
怒っていたかはわからないけど、とにかく怖い表情をしていました。
霊感の強い同行者もそう感じたと言ったからさらに確信したのですが。
あの木像がそう見えただけかもしれないけれど
あの木像はもう長らく義経像として
義経として慕われてきたものだから
やはり義経といえば義経なんだと思います。

義経はちょびひげじゃないからあの木像は違うと思うと私は思うのですが、
これまた失礼極まりないかもしれない。
でもあの木像ですら、誰かのイメージの中の幻想なんだと思います。
いろいろなことを考えました。
言いたいことは全然伝えられなかった。

結局、殿を誰よりもお慕いしていると思いながらも、
殿に1番失礼なことをしているのは自分であるような気もします。
BL書いたり、コスプレしたり。
本当に失礼極まりないのは自分で
でも殿はきっと許してくれるんじゃないかと思ってました。
そういう人柄なんだと信じていました。
それすら、自分に都合の良い解釈なんだとはうすうす気付いていました。
結局、押し付けなんです。
自分の理想とイメージを押し付けているんです。
最低だ。
義経はちゃんと実在した人物なのにね。

学生時代のゼミの先生はそれでいいんだと言ってくれました。
でも本当にそれでいいのかな。
それは義経なのかな?
義経の名を借り、形を借りた、ただの幻想なんじゃないのかな。
それすら含めて、それでいいのかな。

弁慶が義経を裏切ったかもしれないと考える人と
弁慶は絶対義経を裏切らないと考える自分に、
何の違いがあるんだろう。
誰かが作りだした幻想に乗って、
さらに幻想を作り出しているだけなのかもしれない。
でも、それが義経伝説ってものなんだよね。
だからやっぱりそれでいいのかな?

義経はね、どんな風に語られたって怒らないし
認めてくれるんだと思ってた。
何の根拠もないのにね。
でも違ったのかなって。
本当にね、すごく険しい表情をしていたのです。
私は怖くなって、頭が真っ白になった。
再び義経堂へ来ていることの緊張と興奮ももちろんあったけど。
でもそこで何を言っていいか、していいかわからなくなった。

前にバトンで
「殿と魂が入れ代わったらどうしますか」という質問があって
私は「恐れ多くて何もできない、指一本動かせない」と答えたんだけど、
そのときの気分にも似ていて……

……そうか、私怖かったんだ。
そして、そんな険しい表情の殿にびっくりしたんだ。
自分のイメージの殿と違ったから。

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以上は
平泉に行って
あまりに凹んで、めっちゃしょんぼりして帰ってきた感情そのままの
殴り書きです。

体調悪くなるぞって警告だったのかな。
その警告で、険しい表情していたのかなとも思いました。
いや、殿ほどの御方が私ごときに目を止めるはずもなく…
だったら、自分に対して殿が険しい表情をしているというのも
おかしな話なんだけど……
義経堂に着いた瞬間、本当に怖かったんだよな…。

でも殿の方を見て
殿をお慕いしていないと殿のご機嫌とか
殿のお気持ちももちろんわからないわけで…。
てゆーか、ここまで書いてマジ病気だなと思うわけです。
私が私という人を全然知らなくて
この日記を読んだら、コイツヤバイ…と思って
マジ引くなとか思うわけです。

うん。
でも冷静になって思ったのは
殿のことを信じていないのは私の方だなと。
私はきっと盲目的に何かを信じるってことが
本当はできないんだと思います。
だから、義経に惹かれるし、あの方を護りたいと思う。
何も考えずに信じることの出来る人だったと思うから。

いろいろ考えました。
本当にいろいろいろいろ考えました。
自分にとっての義経を考える、本当に良い機会になりました。
なんかね、自分から義経をとったとき
何も残らないっていうか、本当に生きる意味っていうか
張り合いがなくなるなって思いました。
実感しました。
殿がいなくなったとき
何かもう絶望っていう程激しくもなく
静かに私、生きる意味ないな〜っていうか
何もなくなったっていうか。
目標とか目的とかあらゆるものがなくなるな〜って。
そんな気分を味わいました。
頼朝に斬り捨てられた義経や
義経を失ってしまった弁慶っていうのは
こんな気持ちなのかなって思いました。
なんか明るさなんて欠片もなくて
指一本動かす力も起こらなくて
このままここでのたれて朽ち果ててもいいかなっていうか
もう何もかもどうでもいいかなっていうか。
真っ暗になるとかいう激しさもないんです。
なんかもうあんまり明確に覚えてないんですよね。
明確に、記憶に残るように行動してないんで。
ただ頭の中がぼんやりとして
何も考えられなくて、考えることすら面倒くさくて…。
申し訳ない気持ちも
どうすればいいかわからない気持ちも
何かもうあらゆるものが混ざって混乱して
どうすればいいかわからなかった。
私は現代人で、同行者もいたし
普通に観光を装ってその時間をやり過ごすことは出来たけれど
実際神とも、人生の全てとも思っていた存在から
斬り捨てられる、失ってしまうっていうのは
どれだけかと思うと気が遠くなりました。

私はさ、アホだから。
普段は怒られ慣れているくせに
本当に心酔している殿に怒られると
本当にもう何かいろいろなものがガラガラと崩れて。
それは自分に自信がないことももちろんあって
殿にいらないって言われたら本当にもう何もないんです。
殿はきっと誰に対してもいらないって言わないだろうなって
でもそれは私の幻想で
たぶん、義経はカッとなると結構酷いことを
口走ったりしたんじゃないかなとも実は思っているわけです。
言ってすぐに言い過ぎたって泣くほど反省するんだとは思うけど。
だって、鎌倉に入れてもらえなかったとき
「鎌倉に恨みのあるものは我に続け」だかなんだか言うじゃないですか。
これとかホント咄嗟に言っちゃってあとで
めっちゃ言わなきゃ良かったとか思うんだけど
頼朝の耳には入っちゃってあーあ…みたいになるんだろうなって
弁慶どうしよう、みたいになるんだろうなって。
可愛いんだけどね。
うん、周りにいたら大変だよね。
それはわかってるんだけどね。
…あれ?話逸れたな。
いや、ずれてないか?
そうだと知っているなら、
殿の激しさや怒りに触れても
そんなに気にする必要ないのかな…?
とか今思って、ちょっと気が楽になったり。

とりあえず、日帰り平泉は割と強行でした。
あっという間で本当に夢のようでした。
義経堂は本当に衝撃でした。
いろいろ考えました。
相変わらず病気です。
もう一度、早く義経堂に行きたいです。
殿のお心に触れたいです。
…殿が平泉にいるんだと思っているのも
既に私の幻想なんですけれど。
大河では鞍馬に戻っていたし
モンゴルに渡ったという話もある。
でも、私の信じる殿は平泉の高館に眠っています。
800年前とは場所がずれてるとしても。
そこは、やはり義経終演の地としての象徴なんだと思います。
殿にいらないと言われたら、私本当にもうどうしようもないです。
それはよくわかりました。


「病気です……。読み返すのが怖いくらいにヤバイですね…」


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