長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年03月04日(金)

 当初考えていた以上の経験を、一ヶ月という期間に詰め込まれていることに最も驚いているのは、多分自分自身で、其の全てを深く考えようとすればするほど、消化し切れずにいる自分自身にこそ、苛立ちを覚える。之は、もう、多分、如何しようもないことなのだけれども。残り一週間で、私は日本と変わらずにレポートの締め切りに追われて、こういうことに関しては多分、私は何処に居ても大差無い生活を送るのだろう。学生という身分である以上は。
 考えさせられる授業(講義とは違う、ゼミナールに近い形式)は多くて、考えなければならないという義務感を覚える授業も多くて、更にはフィールドワークで私達は多くを考えなければならない。こう考えてゆくと一ヶ月という期間はあまりに短くて、結局多くの詰込み作業だけを経て何を学んだか解らない侭に帰国の途につくのかも知れない。またそうなってしまうことを嫌って、私は全てを消化しようとするのかも知れない。兎に角、私は後一週間しか此処に居られないのだから。

 レポートは、新学期から新たに始まるゼミの先生に提出しようと考えているので、私は此のプログラムを修了しても単位を得ることは出来ないけれども、手を抜くことは考えていない。プログラム参加者の中には既にレポートを放棄している人も居るようだけれど、常の如くそんなことは私には関係無くて。誰かが――日本とは違う、解放された気分で此の国外逃亡を楽しんでくればいいと、私の出発前に言ったけれど。私は決して解放されてはいない。何も変わらない。本質的には。だからこそ、私は此処でも遣って来られたのかも知れないけれど。之からも遣って行けるのかも知れないけれど。










 <<  道標  >>


一言メッセージフォーム。長文は此方をどうぞ。




片翼 [MAIL] [CLAP!]

My追加