長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2005年02月05日(土)

 留学に、如何して行くことを決意したかと問われれば、其れは再三此処で書いてきたように「国外逃亡」に他ならないと、思う。英語力の向上、異国の文化に触れる、そんなふうに言うのは簡単だけれども。外に出ることを長い間ずっと怖がって恐れて、そうして裡に閉じ篭もって、でも"此処"に居ることに我慢できなくなった結果。だから、多分これは「国外逃亡」という表現が最も適切なのだろう。たとえ一ヶ月という限られた、短い期間であっても。私は、此処から逃げ出すことが出来る。誰に咎められることもなく。誰に追われることもなく。
 逃亡先が新たな拘束であろうとも、其の一ヶ月間が"此処"からの一時的な解放であることには変わりがない。そもそも私は「拘束からの解放」を望んでいるわけではない。自由は、常に望み願っているけれども。
 私は、以前のような泣き虫で意地っ張りだけの子供ではないし、多少は、少なからず、あの頃に比べれば、大人になった、つもり。諦観でも達観でもなくて。単純な好奇心でも、怖いもの見たさでもなくて。恐怖に怯えるだけでもなくて。
 「合法的な家出」という言葉は本来「結婚」を意味している。というのも、此の言葉が心理学の某教授の著書に出てくる言葉だからなのだけれども。何故か学生には嫌われている此の某教授だけれども、著作は三桁を超えている。で、結婚を意味しているのだけれども、私は敢えて小旅行等も、「合法的な家出」と表現する。表現するので、今回の「国外逃亡」も「合法的な家出」である。少なくとも、私の中では。
 本当は、如何でも良かったのだと思う。留学が一つのステータスになるということも、暫く此処を離れるということも、何もかも。留学出来ないなら出来ないで、私は別の手段をとって"此処"から逃亡するだろうから。だから、本当は全て如何でも良いこと。










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