長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年12月26日(日)

 部屋の片付けが捗らない一方、レポートの資料纏めに着手する。……後者も決して捗ってはいない。ただ何と無く、何かをしていないと不安になるだけ。落ち着かないだけ。或いは眠っている時にだけ、幸福を感じるだけ。
 資料を読みながら当該部分に付箋を貼り付ける。或いはネット資源の場合はコピーする。精々其のくらいしか、出来ない。今は。

 忙しかった此の一年を振り返る事も無くて、明日を夢見る事も無くて、スケジュールだけを只管、時計の針を見詰めながら、確認する。分刻みのスケジュールが自分を支配する日が来ようとは、思いもしなかったけれど、現実は確りと、長針の角度と共に過ごす日々。其処にある刹那さと、或る種の心地良さを、感じながら頑なに過ぎた一年だっただろうとは思う。或いはそう思わなければ救われないような、虚しさ。
 未だ五日ある、今年は。更に言えば新しい一年の始まりは四月なわけで、少なくとも期末試験を終えなければ学生としては何一つ「終わった」とも「始まる」とも言えない。
 来年は、今年より少しは、暇と呼べるような時間があれば良いと願うだけ。


 自分がどれ程怠惰であるかは私が一番良く理解しているから、そういう事に関して此処に書くのは多分間違っているし、私自身が認めていない。他者とは異なる微妙な感覚は誰しもが持っているものだろうと思う。此処には何度も書いてきたように、私は其れを敢えて誰かに理解して貰おうとは思わないし、理解して欲しいとも願っていない。吉増氏の言葉を借りれば「たった一人制」であるわけで、躍起になって恋人探しに勤しむ周囲の人々を見て彼らを理解出来ない私は、矢張り現時点で他者を必要とはしていない。同時に以前ほど強く在りたいと願うことは少なくなった。強くなりたくなくなったのでも、強くなってしまったのでも、ない。現状に満足しているのでもない。デカルトの言葉を中学高校の頃に比べて意識しなくなった事と、其れ以上に自分自身が何処か縹渺としている事を、知っただけ。他者に認知される事だけが全てなのかそうではないのかと、考えるようになったとき、全てが如何でも良くなったことがある、ただ其れだけ。


 丁度一年前の今頃も聞いていたなあと思い起こしながら、ラヂオから流れるタンホイザーを今年も同じように聞いている。パソコンに向かいながら。去年も今年も、配役は知らない。










 <<  道標  >>


一言メッセージフォーム。長文は此方をどうぞ。




片翼 [MAIL] [CLAP!]

My追加