長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年10月23日(土)

 長く果てし無い回廊を歩き続けるように、縦令空回りしながらでも、ずっと思考し続けるのは不可ない?
 デカダンに憧れること。
 記憶の忘却を選択すること。
 狂気を見詰めること。
 素描画を描き、揺籃に身を任せること。
 そうやって、迷宮の中に這入り込んだとしても、誰が、止められるだろう。誰が、出口を教えてくれようか?
 怠惰でありたいと願う一方、私の中では確実に、完璧を求めている。そうあらねばならないという、義務。二重螺旋に刷り込まれた、意思。

 何もしたくない。ずっと、眠っていられたら良いのにとよく思う。朝陽に目が覚めて絶望するより、悪夢にうなされていた方が幸せかも知れないと。所詮、夢は夢だから。
 目が覚めれば「遣らなければならない」という焦燥に、焦慮に駆られ、後は其れを実行する為に自分を追い詰めるだけ。如何ということは無い日常。休日だと解っていても6時には目が覚める。細胞が記憶している、時間の流れ。どれ程疲れを感じていても居眠りを許さないのも、同じこと。

 矛盾を正当化する為の理屈を考えることに専念して、「事実」を作り上げる。
 そうして、自分自身の存在を否定しようと試みる。


 菊の花と、霙が、嗤った気がした。










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