長い長い螺旋階段を何時までも何処までも上り続ける
一瞬の眩暈が光を拡散させて、現実を拡散させて、其れから?

私は、ただ綴るだけ。
音符の無い五線譜は、之から奏でられるかも知れない旋律か、薄れた記憶の律動か。








2004年08月26日(木)

 二週間振りの英会話で脳内がちょっと浮ついている夜23時。


 時々鬱陶しくなることには、何を差し置いても人付き合いだと思う。生きている以上如何しようも無いこと、とは理解しているのだけれど。
 中でも最近、寧ろ此処数年と言うべきか、鬱陶しく感じられることは、メェルだったりメッセンジャだったり。即ち、電子領域。
 実際に顔を合わせれば、気が向こうと向くまいと何らかのコミュニケーションを取らなければならないでしょう? でも、電子領域だとそういうものでもなくて。メェルだったら、返事が多少遅れても問題は無いわけで。しかし返信はなるべく早く、というのがなんとなく慣例っぽくて。メセはメセでオンラインになっていれば相手は一応パソコンの前には座っているのだろうけれど、何をしているかは知れないし。
 そういうのが厭で、私はパソコンに電源を入れてもメセには上がらないことが多い。メセには苦い思い出もあることだし。それに如何考えたってメセなんて生存確認でしかない。メェルも、出来れば必要以上のことには使いたくないと思っている。其の御蔭か携帯料金は基本料金を超えたことが無い(自慢にもならないけれど)。
 通信手段(文字)ならメセよりもメェルが私は好き。メェルよりも手紙が好き。推敲できる、という意味も含めて。

 パソコンを使わない日は無いけれど、私って根はアナログかも知れない。


 レポートを書く為の読書が思った以上に大変で、そろそろ限界を感じている今日此の頃。旅行前に宿題は全部終わらせたいと、願って已まない。










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