久々に、過呼吸に陥った気がする。理由なんて解らない。何てことは無い、ただ自転車に乗って三キロくらい走って、古本屋へ行っただけのこと。店内に入った途端立っていられなくなった。本屋って壁が無いものね、仕方ないから書架の前で蹲って半刻以上無駄に過ごした。……地下鉄構内じゃなくて良かったと思うべきかしら。 他人に助けを求めるのって慣れない。此処で言う他人というのは自分以外の人間を差すわけだけれども。如何考えたって痛みも辛さも他者に理解できるわけ無いのに。人間は超能力者じゃない。だから私が死ぬほど呼吸を繰り返して蹲っていても誰もが見て見ぬ振りするわけで、私は其れを納得している上に今日の状態だと声を掛けられたところで答える事すら出来なかったわけだ。
私の部屋の窓から真正面に見える広い庭で、夕刻、小学生がボール遊びをしていた。多分、高学年。下手に社会を知って、然し其の本質なんて一つも解らずに、曖昧の中で一生懸命日々を過ごしているような時期。 子供は全部で十五人居た。私の視界には入らないところで、彼等の親がバーベキューか何かしていたらしい。子供達は、私には解らない彼等独自のルールで柔らかいボールとサッカーボールと硬式野球ボールを使って遊んでいた。隣に花壇が在ることなんて御構い無し。何も無いように見える土の中で種や球根が植わっている事なんて彼等は知らないし、其処を踏めば芽が出なくなる可能性なんて考えもしない。咲き始めた水仙やチューリップの首を折ろうと彼等の人生に汚点は残らない。親も、注意なんてしない。 子供には子供の規則があるようで、花壇にボールが入ると「土下座しろ!」と叫び声が飛び交う。誰に土下座するのだろう。其の花壇の持ち主に? 其れとも花壇に植わっている植物に? 結局、土下座する子供なんて一人も居なかったけれど。 私は頭痛を抑え込んで、窓から外の様子を睨むようにずっと見ていた。子供達は敏感だから、私がずっと見ていたことに気付いていた様子だった。其れでも私の存在なんかお構い無しにボールは宙を飛び、花壇を荒らす。親達は鈍感だから、背後で行われている「植物殺し」なんて知らなかっただろう。
私の部屋の窓の下に植えられた菖蒲が一本、死んだ。
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