何時もの休日通り、私は部屋に引き篭もって食事以外は自室から出ない。時間は、専ら本かパソコンに向かうことに費やされる。パソコンの電源を入れたままにするのは嫌いなので一々点けたり消したりして数分を無駄にもする。眼が疲れてくると丁度目に付いた独逸語の大量プリントに取り掛かり始めたりもする。小泉八雲の『怪談』を和訳しなければと思い立つが、其処までは手が回らなくて後回しにしようとも思う。 何通かのメェルに返信を書きながら、そう言えば授業の一つに親しくない人への書簡か何かの課題が出ていたような気がすると思い出す。あれって宿題だったかしら。よく覚えていない。けれど時間があったら遣っておこうとは思う。宿題ならば其れでよし、宿題でなくとも授業中に困ることは無いだろうから。 暫く忙しかったのでまともな読書から離れていたが久々に活字を読み耽って疲れた気がする。図書館から借りている一冊と、友人から借りている一冊も呼んでしまわなければならない。ついでに感想文を書かなければいけない本は忘れないうちにさっさと書いてしまわねばなるまい。遣らなければならないことは山程ある。連休が終われば夏期休業まで休みは無いだろうし。夏休み中は如何しても何処か旅行したい、と言うか遠出したいので、其の為にはお金を貯めなければならないし。
日中は執筆する気にならないのでCDを少し大きな音量で流す。そうすると国道から50メートルの我が家だって車の走る音を多少軽減される、様な気がする。少なくとも隣室から両親の声は聞こえない。 成程、今になって私は思う。私は音楽を大音量で聞くことなんて無かったから兄が如何して隣室に響くまで音量を上げて音楽を聴くのか解らなかったのだけれど。大音量の中で集中力は低下するだろうけれど、周囲から切り離されるような観はある。周囲と関わりたくない時には最高の遣り方かも知れない。
友人同士の会話の中で進路のことが話題に上る回数は昨年度より多くなったけれど、友人の多くは道内から出たくないという。地元が良い。親元なら猶良い。そんな話。 私は、さっさと親元離れて一人暮らししたいけれど。
読書日記。『兎の眼』(角川文庫)灰谷健次郎著 昨日に引き続き児童サービス論で提示されたうちの一冊。児童書ではあっても児童文学ではない。児童について書かれた本と言うべき。 所々泣けてくるような、灰谷健次郎らしい本。批判的に、と言うか皮肉的に、見ようと思えば幾等でも皮肉は出てくるのだけれど、素直に読む分には感動の一冊と言えると思う。子供と大人の関係が、先生と生徒という関係が、多分此処まで極端ではなくても上手くいかないのは当たり前で、其の付き合い方と言うか、そういう関係が上手く描かれていると思う。共感出来るから感動も出来る。 ……でも矢張り如何考えても之はフィクションなのよね。
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