ネットという世界は変幻自在、自分をどのような姿にでも変えられる。そしてこのライブチャットの世界にあっては、あろうことか日々姿を変えつつ「いくつもの名を持つ男」が闊歩しているのであった。そう、「顔」じゃなくて「名」を持つ男。そこがなんとも可愛い。やくざになりきれないチンピラみたいな感じ(お、危険発言か)。 チャットサイトによっては、登録したIDの他に「チャットネーム」を自分で好きなように設定できるサイトがある。そういうサイトでは、チャット開始と同時に、自分の発言には設定したチャットネームが表示されるというわけだ。自分で設定できるのだから、いつだって好きなように変更できる。Aちゃんのところへは「タケシくん」で登場して、Bちゃんのところへは「ハジメくん」で登場するなんてこともできちゃう。 あるチャトレちゃんがある日「ねぇねぇ、ひとりの人がふたりになるなんてことある?」とわけのわからぬことを口走った。「分身の術か?」と応えはしなかったけど、「違う名前でメールがきてるんだけど……同じ人みたいなのよねぇ」という言葉に得心した。そう、賢明な諸氏であればもうおわかりだろう。彼はAちゃんのところへ「タケシくん」で登場していて、ある日、Bちゃんと「ハジメくん」でお喋りしたその足(チャットネーム)で、Aちゃんにメールしてしまったのだ。だから、タケシくんであるはずの男がハジメくんでメールを書いてしまったということ。 そりゃ行き届かなかったねぇ、お笑い種だねぇ、と返すしかなかったんだけど、いくらチャットネームを変更しようが「IDは変わらない」というところに気づかなかったのだろうか。 ネットでは「自由自在に自分を変えられる」と多くの人たちが考えていると思う。名前や所在、言葉遣いを操れば、およそ己の真実の姿は相手にばれないだろうと考えている輩もいる。でもね、法的に行き届かない点はあるんだけど、ホストをつきとめていくなどして、かなりな線までその人物を特定することは可能なんだ。つまり、誰もがネットに接続しているからには「ID」と同じものを持っているということ。 語弊がないように書き添えておくけど、現在の法律では簡単にそれを特定することは不可能。「それじゃ意味ないじゃん」と仰るだろうけど、徐々に警察の手もその辺に届き始めているのだから、不埒な考えを持っている人たちは、そろそろ考えを改めたほうがいいと思うよ。って、なにアドバイスしてるんだ、おれは……あ、忠告か。 タケシくんがハジメくんに変身する理由は明白。「ボクはあっちこっちの女に手を出したりしないよ。きみだけさ。一途なんだ」というところを見せたいから。そして同時に「AちゃんにBちゃんと仲良くしてることを知られたくないもんな」という心がそこには付随する。人間って弱いね。そんなところで要らぬ嘘(そう、これは「嘘」なんだ)ついてどうするよ、と思うわけさ。 チャトレちゃんの前にでると、決まって「彼女や妻の悪口をいう」男がいる。悪口とまでいかなくても、「相手はいるんだけど不仲なんだ」とこぼす男と出くわしたことは、それなりに経験のあるチャトレであれば身に覚えがあるところだろう。彼らの心理も至って明白。「ボクの前にはきみしかいないんだよ」と言いたいのだ。確かに「恋人」や「妻」という形ある伴侶はいても、「そこに愛はないんだ、あるのはきみとだけなんだ」という意識が見え見えの行動のように僕には思える。 なんでこうも稚拙なんだろう。一途であれば女は落ちると思っているのか。自分の境遇を不幸におとしめれば、同情に火がついて愛情に変化すると本気で考えているのだろうか。精子を突進させる本能しか身につけてないおぼっちゃまの行動に、僕は首をかしげるばかりだ。 嫌われたくないんだろうな、と思う。相手を引きこむまで至らなくとも、せめて相手の意識から排除されないようにしていたいんだろうなと。僕だって同じだ。嫌われるのは怖い。けれどそれ以上に、自分を捨ててしまうことができない。したくない。 名前は、創作という行為を手にウェブを自己表現の場と心得ている僕にとっては、とてもとても大切なものだ。その大切な名前を偽って遊ぼうなどとは思わないし、自分を変身させたいとも思わない。嫌われようが嘲笑を受けようが、僕はありのままの自分をここに構築したいと望んだいじょうは、逃げ出さずそこに己を存在させつづけるのが最低限の責務だと考えている。 だから、家族のことも偽ったりはしない。妻とは紆余曲折あって、確かに過去に三度くらいは離婚騒動もあったけど、ふたりの子どもたちとともに、いまでは命を賭して守りたい存在となっている。男だからという物言いはしたくないけど、あっちにふらふらこっちにふらふらすることはある。ときめきには幾つになっても憧れるし、僕が感じる美には吸い込まれてしまう。だからといって、大切なものを隠したり偽ったりしたいとは思わない。 チャットは、人と人とが接する空間だ。そこには作られたロボットではなく、常に生身の人間が存在している。異種雑多な人間が。だからチャットはおもしろく魅力的なのだとも思う。そのような場で自己を偽ることが何を意味するのか。明言は避けるけど、考えて欲しいなと思う。きみという存在は、きみ以外の何ものでもないのだから。
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