いい響きですな。心のパトロン。僕の愛読書「小説新潮」に連載されてる神崎京介(オ!同じ苗字じゃないかっ)の小説で「ショコラティエ」ってのがあって、物語のなかにフランスはパリのケーキ屋さんが登場するんだけど、フランスでは店のオーナーのことを「パトロン」と呼ぶらしい。なんとも粋だなぁと思ったさ。日本でパトロンと呼ぶと、なんか妙な想像しませんこと……? 「チャットは趣味だからいいの、気ままにやるわ」と仰るチャトレさんならいざ知らず、多少に関わらずそれを生計の足しにしている職業チャトレにとっては、仕事(つまりチャット)で厭な想いをすることも少なくないだろう。なんでこんなことしてるんだと、ふと我に返ることもあれば、迎合すべきか独自路線を貫くべきかとジレンマに陥ることもあると想像している。 厭な想いは楽しい想いで吹き飛ばせというのは常道で、そういうときほど、気の置けない仲間や心優しき常連客がありがたいと感じたのではなかろうか。人に傷つけられた心は人に癒してもらうのが一番。自立自立と自分を追い立てるのも悪くはないけど、ときには人に甘えることもまた、人として正しい生き方なのだと僕は思うな。 そんなとき、身近にいると心強いのが「心のパトロン」さん。よく「人生の師」なんて物言いがあるけど、できればパトロンもそういう存在が望ましいかと僕は考えている。そして、できれば恋人ではないほうが尚よろしいかとも。だってそうでしょ。チャトレというのは数多の男を相手にする仕事だ。その状況をよく理解して支えてくれる人が恋人では、あっちもこっちもやりにくかろ? もちろん、相互に信頼関係を築くのだから、それが男と女である以上は、多かれ少なかれ恋愛感情に似たものは持ち合わせるはず。関心がない子の面倒など、どこの世界にみたがる男がいますか。「この子は本当にいい子だ」と感じ入って「何かの形でサポートしてあげたい」と思うからこそ、パトロンはパトロンたりえるのです。 というのはね、僕自身もそういう立場で接してるチャトレが何人かいるから。彼女たちが僕の存在をどう捉えているかは、言葉で耳にしたことがないから不明瞭だけど、おそらくはそのパトロンに近いイメージで捉えているのではなかろうかと想像している。でもまあそれは言い換えると、僕は彼女たちの恋人にはなれないということなんだけどね……しょぼん。 人間にはそれぞれ、与えられた役回りというのがあって、僕はどちらかというと一線で華々しく活躍するよりは、バックステージでこそこそはいずりまわって段取りしてるタイプ。チャトレたちと話をしていても自然と話が裏話になってしまうのは、そういう定められた役回りによるのかなぁと思うこともよくある。 おそらくはチャトレたちも、数多の客と言葉を交わしているなかで、「この人は恋人タイプ」「あ、この人はパトロンタイプかな」と、男連中を区分けできるのではなかろうか。そして、自分を理解してくれそうなパトロンタイプに出逢ったならば、損得抜きにしてその人を大切にしてあげて欲しい。チャットサイトに顔を出さなくても、メールや無料のメッセという繋がる手段があるのなら、それを頼りに絆を深めていって欲しいものである。 社会という枠組みのなかにいると、愚痴をきいてくれる存在ほどありがたいものはない。僕は立場上、なかなか会社のなかで愚痴をこぼせない。思っても口にできない言葉のほうが、遥かに多いほどだ。それだけに、気をおかずに話せる相手はありがたい。どんな話でもきちんと理解し受け止めてくれて、それなりの返答をしてくれる存在というのは、まさに心のパトロンなのだと僕は思う。 心のパトロンは原則、金にはならない。まあなかには「まーかせーなさーい」というご立派な本物パトロンさんもいるだろうけど、そんなのはほんの一握りだろうと僕は想像している。チャットをしながらパトロンを探すのも容易じゃないだろうけど、深い絆を結べそうな相手を心に思い浮かべつつチャットに励むのも悪くないだろう。 あなたには心のパトロンがいますか?
|