心ほどけて春 / 盲導犬 - 2004年02月19日(木) 春のように暖かな日だった。春の足音が、もうそこまで来ている。 こういう日は、心がほどける。 丁度、解剖実習の納棺の日だった。 合わせて、3年生たちは今日が神経系の再試験の日だったとのことで、 みなから解放感が立ち上っていた。 その喜ばしい気を、私も目一杯身体に受けた。 ++ 深夜、勉強しながら、プロジェクトXの再放送を見ていた。戦後間もない時期の、日本初の、盲導犬の訓練の話だった。 犬を馴らすところから、すべてが手探りで、本当に大変そうだった。 ふと、高校の教員をしていた時の英語の教科書を思い出した。盲導犬の話が出ていた。いや、教員の時ではなく、その前、教育実習の時だった。高校二年生の教材だった。 そのとき、私はいかに盲導犬という存在が素晴らしく、そして視覚障害者の手や足になるのか、生徒達が余りにもしらけているのを尻目に、熱っぽく話したつもりだった。必要な存在なんだ、確保されて然るべきだ、と。 そのとき、訓練するハウツーはもう出来上がったものであり、それよりも、必要な人に行き渡らせる方法が欠如しているのだ、そんな思いで教壇に立っていた。私なりに語ったつもりだった。 しかし、それは全く不十分だった。犬をしつけるプロセスがどんな試行錯誤を重ねて培われたものか、それを私は知らなかったのだ。 ときどき目からウロコが落ちる。 この日も、また、一枚、不十分ながらにも、落ちた。 -
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