所感。 - 2003年03月01日(土) 発生再々試。 あとは、余分なことを考えずにひとつひとつ潰して行こう。 モグラ叩きみたいに。 逃げたくなることもあるから、逃げたくなる気持ちは分かる。 以前の修士課程の時の私は、論文から逃げていた。 楽しめたらベストだったし、自分にとって価値がないのなら潔くやめれば良かったのかもしれない。ただ、修了はしたかったけれど、逃げていた。 その時から比べて、今も、「あ、逃げてる姿勢だな」と思うこともある。 ただ、逃げたくなっても、今は一時的なパニックも治まり、ひとまず、「諦めないこと!」「一つ一つ潰すこと!」、最後には、(へこんだ時なんかは)、「ここで負けてたまるか!負けるのは簡単だけど、そんなちょっとしたことで1年棒に振ってたまるか!」と、受けにいっている。 リセットすることにして、先延ばしするよりは、今、できるところまでやろう、そう思う。 正面からぶつかってできる限り完璧になればそれがベストだ。 そして、それが本試験でできるのが最高だ。 ただ、どうしてか、なんだか理解もぼんやりとしがちで、こけてばかりいるんだよな。。 今日も、どうして?同世代としてもどかしい、と理由を尋ねられた。 自分でも、どうして力がイイ感じで出せていないのか良く分からない。 要らないこと、あるいはテスト以外のこと、を抱え込みすぎていたりするのかもしれず、また、部分的には、気持ちが少々逃げている部分に気づくこともあるし、さらに、前期や10月11月に理解が不十分だったことをベースにしている事項に関しては、今も弱いな、この機会に補強しておかなきゃ、と思う。 とにかく、もう一度受けさせてくれるということは、勉強してそれを確認するチャンスがあると言うことだから、前向きに行こう。 今日中に、薬理と、臓器生理(肺、心臓、血液)のメドを立てておこう。 ++ 「生理学テキスト」は、カラーの図が満載で、分かりやすいけれど、 機序が余りきちんと書いていないので、ちょっとペラペラしているということが分かる。 ++ memo 3度目にしてようやく読んだ本。 「孤独であるためのレッスン」諸富称彦(NHKブックス)・・より 「ひとりでいる能力」について力点をおいて書かれている。 「考えてみれば、この国ほど、「みんな同じ」という抽象的観念に毒され、少数派に属する人への配慮を欠いた国はないのではないでしょうか。たとえば、JR。山手線で、次の駅名をモニャモニャ、と日本人である私でさえ、よく聞き取れないような声で話す。外国から来た方や聴覚に障害があるか多などの存在が全く視野に入っていない。」p.58 「「あなたの気持ちはよく分かります。でも、一生それを続けるわけにはいきませんね。 あなたは、「いつかは結婚したい。母とも離れたい。でも、今は」と思っているかもしれない。しかし、その「でも、今は」が曲者。「でも、今は」「でも、今は」と、決断を先延ばしにしていると、結局、いつまで経っても決断できない。(中略)そうなって、「あのとき、母がああでさえなかったら」と、一生お母さんを恨み続けている方も、結構いるんです。 そうならないために、ここは、一時の感情に流されないで、よーく考えて決断した方がいい。 自分を幸せにできるのは、自分だけ。心を鬼にして自分の幸せを手にすることが、結局はみんなのためにいいことだったというのも、よくあることですよ」p.71-72 「「バツイチ」「バツニ」といった言葉に象徴されるように、以前にくらべると離婚もかなり身近に感じられるようになってきました。しかしまだまだ離婚に対する世間の否定的なまなざしは強く、それが離婚した夫婦やその子どもたちを自己否定的にさせてしまう場合も少なくありません。(中略) 自分の人生は自分で決める、自分で選ぶことの重要さがしばしば指摘されます。たとえば、小学校、中学校の進路指導でも、人生の自己決定・自己選択の力を育てることが重要であると説かれます。 私はこの、人生の自己決定・自己選択を認めるにあたって、その最も重要な前提として、「離婚し、再婚する権利」が認められなくてはならない、と思います。 離婚を「夫婦関係がどうしようもなくなった場合の最悪の選択」と考えるのでなく、「運悪く夫婦のマッチングが悪かった場合に、それに固執せず、新たに仕切り直すための前向きな選択」と受け止めることが、「自分で選ぶ人生」の不可欠の前提として、当然認められなくてはならない、と思うのです。 つまり、離婚は、転職同様、「新たに人生を仕切り直すための、前向きな選択」。離婚したからといって、決して自分を責め続けるべきではありません。 「このままでは夫婦はだめになるだけ」とわかりつつ、ずるずると関係を続ける夫婦がまだまだ少なくない中、離婚された方は、お互いの幸福のためにさまざまなプレッシャーに負けず、前向きな選択をなされたのです。むしろ自信を持っていいくらいです。もしチャンスがあれば、再度の離婚を恐れず、結婚にチャレンジして頂きたいと思います。」p.74-75 「こうした傾向(引用者註:さみしさをうめるために誰かとつきあっていないと不安になること)がさらに強いのが、二人、三人と同時に複数の異性とつきあう”多重恋愛”の 若者たち。一見快楽主義的に見えますが、多重連来の網の目に絡まっている若者の多くは、ごく普通の真面目な学生たちです。 そして、彼ら彼女らがしばしば口にするのは「自分が傷つくのがコワイ」という言葉。特定の異性との関係に自己限定すると、相手を失ったときのダメージが大きい。それを避けたいから”本命”は決めず、同時に複数の異性と関係を持ち続ける、というのです。 ”不道徳”の一言で片付けるのは簡単ですが、私はむしろ、その背後に、若者たちの痛々しいまでの”傷つきやすさ”を、そして、傷つきを恐れるがゆえにどんな人生の可能性にも自分を懸けることができない”リスク回避の生き方”が見て取れるように思います。」p.84 「 何がほんとうに大切かを知り、それ以外のものは、思い切りよく捨てることができる。実はこれが、しあわせになるための近道の一つです。」p.104 「 私が勧めているのは、他者とのかかわりの中にありながら”心の孤独=ひとり”の状態を保てる状態」p.118 「 逆説的な言い方になりますが、この人生を孤独に生き抜いていくとき、どうしても必要なのが、どこかで自分を無条件に支え、見守ってくれている人の存在です。 「この人は、私を無条件で支えてくれる。私が、多少のヘマや失敗をして世間から見放されたとしても、この人だけは、私の味方になってくれる」 そう思える人の存在です。 この、無条件の支えがあるからこそ、それをバネにして、人はひとりで生きていくことができるのです。 ふだんはほとんど意識していなくても、”私は、この人に無条件に支えてもらった”という経験があり、実感があってはじめて、ひとりで生きていくためのふんばりが効くのです。」p.119-120 「 もちろん、人間はどうしようもなく孤独である、というこの真実を引き受けるのは勇気の要ることです。 しかし、人生の本質的な孤独、さみしさ、わかり合えなさを知った者同士だからこそ、深いところで通じ合える、響き合えるものです。 それは、ごまかしようのない、人生のリアリティに直面して生きているからです。 人は、自分を深く生きれば、どうしても孤独にならざるをえない。けれど、孤独を知り、孤独を引き受けた者にしか手に入らない深い出会いがある。 これは、人生の普遍的真実です。」p.162 「ロジャーズはこう言います。人は、現実の、あるがままの自分を心の底から認め受け入れたとき、はじめて、意味のある変化が生じて来る、と。」p.190 「 カウンセリングとは、人が自分の心の声を聴いていく、そのお手伝いのことです。カウンセリングを通して、人は”自分の心の主人公”に、言い換えると”自分の人生の主人公”になっていくのです。 カウンセリングでは、このようにして人が自分を受け入れ、自分の声の心に耳を傾けて、真に”自分自身”になっていく上で最も必要なことは、他の誰から無条件に受け入れてもらえる関係においてはじめて可能になると考えられています。 他者に受容され共感される関係こそ、人が真に”自分自身”になる上で必要不可欠なものだ、と考えらえているのです。」p.190-191 「母親(またはその代理の人)が、やさしく、暖かな配慮を持って、子どもがひとりで思う存分好きなことをするのを見守る。こうしたサポーティブな環境の中で、子どもはひとりでいられる能力を身につける、というのです。それはなぜでしょうか。このサポーティブな環境の一部を子どもは自分の人格の一部に組み込むからです。」p.207 -
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