Wakako's Diary 道すがら記

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やなぎみわ個展 / ウツを巡る挿話 - 2002年10月25日(金)

学祭で今日は学校が休みだったので、のんびり朝寝できた。ただ、
昨日誕生日だった友人にお昼を作ってごちそうするといっていたのに、部屋の片づけどころか寝坊して外食にすることに。彼女のイタリア旅行の写真を沢山見せてもらった。景品であたったとかいうアウトドアジャケットまでもらっちゃった。

友人は求職中で、私に映画「モンスーン・ウェディング」と「ハッシュ」を勧めてくれた。前者は歌って踊ってのインド映画には珍しくインドのはでな結婚式を通じての人間関係の情趣が描き出されているそうだ。そして後者はイスラエルとパレスチナのドキュメント映画なのだそうな。

が、私の食指はどちらにも動かない。今は(偏狭といわれようが)人の結婚式なんか見たくないという心境であるし、後者は、、彼女が感情移入をするほど私にとってリアリティを持たなくて、かつて彼女と第二次世界大戦中慰安婦として連行されたオモニたちのドキュメント2部作や、ナチスの強制収容所のドキュメンタリー「ショア−」の9時間の大作を一緒に見た私は、いつの間にか私にとってのリアリティーは、むしろ、「about a boy」の新しい家族(?)の姿の探究や、「ブリジット・ジョーンズの日記」のブリジットであり、そして知的障害者の父親が親権を巡って争うという「I am Sam」を見たいと思っている私は、その事実をどう受け止めたらいいのか心の上で弄んだ。

お茶して休憩したあと、大阪・心斎橋・キリンプラザで開催中のやなぎみわの個展へ。新聞に載ってたりして、興味を持っていたので誘いが嬉しかった。my grandmothersというタイトルで、イメージしていたのとは異なって写真のパネル展示だった。元SMの女王とか、スーパーモデルとか、賢者とか、パイロットとか、そんな具合でやけにいけてる元気なおばあちゃんが多いと思ったら、作者およびモデルの人たちの理想のおばあさん像なんだそうな。のんびり老後を、というイメージの写真はなかったなぁ。。
あと、芳名録に「上野千鶴子 東京大学」とあり、思わず騒いでしまった(汗)。

案内はこちら。11月2日まで、会期中無休。
http://www.kirin.co.jp/active/art/kpo/event/200209/miwa.html

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個展のあと家庭教師に行った。

帰りの地下鉄の中で、たまたま隣に座ったオジサマ・・30代後半か40代かはたまた50代か、私には分かりかねたが、立派なオジサマである・・が涙をしきりと拭っていた。目から涙が染み出ているようだった。
このひとも、とても悲しいことがあったか、或いはウツの感情失禁に苦しんでいるのだろうな、と思った。

今日、私は差し出がましいことをした。出席必須の実習にきていなかったと思わず同級生にメールしてしまったのだ。ただ、すでに親しくしていた同級生が一人実質来なくなっている以上、看過し難かった。

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ウツは治るけれど、あまくみると一生を棒に振りかねない、そんなこころの風邪だ。私も文学部の大学院時代、それで調子を崩して留年している。その時早めに手当てをして留年しなかったならば、さっさと研究に身を入れて博士に進学する(!?????)か、はたまた帳尻を合わせるかのように就職していたのだろうか。それまで履歴書が「きれい」だった私のことだから、ものすごい勢いでエンジンをふかして帳尻を合わせて就職していたのかもしれない。
確かに、私は(小さなものではあったけれど)NGOから内定をもらっていて、就職してしまおうと思えばできたと思う。

ただ、私は論文が書けず(かく体力も気力も残っておらず)、そのくせ、論文を書かずに(修士を終了せずに)退学するという選択も思い付かなかった。したがって、早々に論文提出取り下げ願いをだし、留年を決めた(その年は、火事に遭った直後だったから同情されもしたというのもあった)。10月のことであった。そしてそのあと、バイト以外はひたすらウタウタと眠りこけていた。。。

その時、修士を終了していたらどうだったのだろう。
薬の力を借りて楽になっていたらどうだったのだろう。
単にそれは帳尻を合わせていただけかもしれない。

幸いに私はまだ(当時は)先に無限に近い未来が開けているように思っており、学生であることに保護されて、さらに学生である期間を伸ばし、将来の決定を先延ばししていた。心だけは常に焦っていて論文、論文、と思っていたけど。

結局、ギリギリまで文学部にいた。その時の気持ちは、水村美苗の「私小説」(新潮文庫)がとてもよく代弁してくれている。

文学部の外の世界に着地するために、その時間は私に必要だったのかもしれない。そしてそこを通らなければ、今の私はなかっただろう。
でも同時に、その時間はなくて済ませられればその方がよかった時間である様な気もする。あとになってまで、「私の20代を返して!!!!」と思わなくて済み、いや、それ以上に、死と隣り合わせの孤独の恐ろしさをさして味わわずに済み、そして今もその死と隣り合わせの孤独に脅え続けなくて済んだのだろうと思う。

心は風邪を引いて休みたかった。
だけど休みの代償は代償であり、どこか一か八かの危険な要素を含み、
あとから意味を見い出していくことも多い、そんな休みである様な気がする。

私にとって、ウツの経験とは一体なんなのだろう。
自分に心地よい生き方を身につけるまで/ための通過点なのだろうか。



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