日経朝刊社会面で「若手検事 警察署で研修」という記事が載っていた。
そこで、検事と警察の微妙な関係について述べてみる。
通常事件では、警察が被疑者を取り調べで調書を作ったり、現場の状況を記載した実況見分調書を作る。 検事は、それを読んだ上で、再度、被疑者の取り調べをするが、ほとんどは警察での調書と同じ内容である。
したがって、検事にとっては、警察の捜査がなくてはまったく仕事にならないのである。
実際、一つ一つ当たって潰していく警察の捜査手法はすごい。
私が担当した事件でも、福島で頻発していた車上の荒しの事件で、犯人が「福島には来たのは今回が初めてです」と供述したことがあった。
そのため、警察は、まず車上荒らしがあった日に福島の料金所で回収された高速のチケットを、全部指紋照合した。 そこから、車上荒らしのあった日に、犯人が、福島に行ったことを突き止めたのである。
このような地道な捜査は、検事には絶対にできない。 すなわち、検事は、警察の捜査なしでは仕事はできないのである。
他方、検事は、裁判で必ず有罪にしないといけない宿命にあるし、そもそも、裁判で争われるのをとてもいやがる。 そのため、完全な証拠を要求して、警察に対し、あれこれ再捜査を要求するし、裁判で争われると思うと、起訴しないこともある。
したがって、警察からみれば、自分たちがいなければ証拠も集められないのに、あれこれ余計な捜査の指示したり、せっかく捜査したのに起訴しないこともあるから、検事というのはおもしろくない存在なのである。
以前、福岡の裁判官の妻に逮捕状ができとき、検事が逮捕を止めたことがリークされたが、その情報の発信元は、それを快く思わなかった福岡県警からではないだろうか。
要するに、通常は意識しないであろうが、潜在意識として、警察しては、検察庁をおもしろくないと思っているし、検察庁は、警察が本気で怒るのを怖がっているのである。
大分前に、神奈川県警が共産党幹部宅を盗聴したのに、検察庁はそれを事件にしなかったことがあったが、それについて、伊藤元検事総長は、本気で警察を怒らせた場合の悪影響を考えたからであると回顧している。 これは、亡くなる直前に書いたものであり、真実なのであろう。
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