ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

『YOSHII LOVINSON TOUR 2005 AT The WHITE ROOM 』 - 2005年07月07日(木)

ツアーが終わったばかりで、まだ咀嚼し切れてはいないだろうけれど、
今日7月7日という私達THE YELLOW MONKEYを深く愛するファンにとっては、
殊更大きな意味を持つ日に、LOVINSONツアーへの想いを纏めておこうと思う。
ライブ前の各種音楽雑誌インタヴュー等でも感じてはいたけれど、
昨日の朝、スポニチや読売のスポーツ紙で「YOSHII LOVINSON 改名!」と
題されたあの記事とそこに映し出されたスッピンで熱唱する
YOSHIIの姿を目にしたら、胸の奥底で殆ど無意識の内に封じ込めていた硬いものが
すっと溶かされて行った。
『WHITE ROOM』が出た時、一曲目「PHOENIX」を聴いて、「これは吉井和哉の
再生の歌だ。不死鳥が折り畳まれた翼を拡げその羽ばたきで砂塵を巻き起こす
飛翔の歌だ。」と思った。
私は今回、6/4新潟フェイズ、6/22ZEPP名古屋1日目、7/2東京N.Kホール2日目、
7/4ZEPP東京1日目の計4回LIVEに参戦する事が出来た。
自分自身がLIVEを体感して、そして全14公演のうち11公演に参加した友から
逐一聞かせて貰った各LIVE会場の様子、その友とは別の会場に参加出来た方からの
感想などをお聞きして、今感じるのは、
この14本の『TOUR 2005 AT The WHITE ROOM 』を終えてようやく吉井和哉は、
YOSHII LOVINSONという表記もいらない、
吉井和哉(一哉)本来の姿をまさしく「NATURAL」に顕す事が
出来るようになったのではないかと思う。
アルバム『WHITE ROOM』を世に出すだけではまだ、
PHOENIXは孵化していなかったのだ。一度炎に焼き尽くされ灰の塊で出来た殻の中で、
ドクッドクッと力強い鼓動を響かせて、生まれ出づるその時を待っていたのだと思う。
新潟で殻を割り、続く松山、広島で着実に姿を現し、
濡れた身体を乾かせ、羽を少しずつ伸ばして、東京公演最後の最後でやっと
一人のアーティストとしての吉井和哉が産声をあげたのではと、私は感じた。
7/5のMCで吉井は、『YOSHII LOVINSONはこれで最後・・・
どんな名前で今後やるかはわからないけど最後・・・
今日が何かの始まり。新しい始まりへのFINAL COUNTDOWN』と話したそうだ。
イエローモンキー後期〜晩期には、吉井はTHE YELLOW MONKEYの吉井和哉という
存在で在ろうとする事がとても辛そうに思えた彼が、
休止を決定してから解散を決断するまでの長さを含めて
彼の抱え込んだ苦悩の大きさを思うと、
彼がステージへ帰って来てくれた事に、彼自身へもそうだけれど、
彼を支えてくれた周りの方々やスタッフ全ての人に感謝したい。
素晴らしいLIVEを魅せてくれてありがとう!
7月7日、去年の今日、メンバーが3年半振りに集まって解散を決めたという
日だから、ちゃんと書いて置こうと思う。
THE YELLOW MONKEYを解散させた事で吉井和哉が責任を感じる必要はないと思う。
吉井和哉がTHE YELLOW MONKEYの枠に収まり切らなくなっていたのだから仕方ない。
無理してあのまま続ければ、跡形も無く木っ端微塵に為っていた事だろう。
今は、いつかきっと(私はいつもこういう言い方をするけれど、
必死にその時を念じている訳ではないよ。)
4人の道が一つになる未来もあると思う。
『僕の左でギター弾くのは、やっぱりこの男!』
『ミュージシャンとして結婚』という宣言が高らかに為されたと言うし、
吉井とエマという黄金コンビはこれからも続いて行くだろう。
二分の一イエローモンキーではない。
「吉井がエマに依存し過ぎ、エマに甘えるな」とか
「エマは吉井と離れろ、ソロで演れ」等という意見も巷ではあるようだ。
私は、多少(かなり?)邪な視点が入ってはいるが、
吉井のヴォーカルとエマのギターは魂で結びついたベストパートナーだと
信じて疑わないので、
本人達の望むようにしてくれれば良い。
「永遠に一緒」と誓ったって未来は、本人達次第。
二人が互いに必要とする相思相愛の期間が長く続けば良いのに、
と願うばかりだ。






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