ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

産声 - 2005年03月30日(水)

あるラジオ番組ゲストでYOSHII LOVINSONが「WANTED AND SHEEP」を
「男のロマン」だと語っていた。
「SHEEP」お尋ね者が連れているこの「羊」って弱いから守らなきゃいけなくて
厄介で邪魔だったりもするのだけれど、でも、
失くしたくない安らぎで大切な拠り所なのだろう。
吉井にとっての「羊」は、きっと「音楽」をやる上で守りたい
「スジ」というか「理想」というか、きっと楽な方へ行こうとすれば
幾らでも道はあるだろうけど、「それじゃ嫌だ、俺はこっちなんだ!」っていう
拘りであるように私は感じる。
友人がレイ・チャールズの自伝映画「RAY」を観て、
《「ミュージシャン、かくあるべき」。「私には音楽しかない」という
覚悟の人だけに、音楽をやってほしい。》という感想を持ったと話してくれたのだけれど、
「私には音楽しかない」という事について、私は、YOSHIIって人は、
今でこそ家族も仕事もロックスターという名声も手にしているけど、
それでもまだ埋まらない何か「欠落」と言ったら大げさだろうけれど、
決して満たされてはいない空洞のようなものを持った人だと思う。
それは幼少時に父親を亡くした所為かもしれないし、
その後の暮らしや青年期の入り口で親友を亡くした体験や色んなものが
合わさった結果なのだろうけれど、学校や家や日常で「生かしきれない」自分を
「音楽」でだけでは「開放」=「表現」出来たのじゃないかなあ。
メロディーや歌詞や歌唱とかTHE YELLOW MONKEYというバンドを始めて
自分を表現出来る場所を見つけたけれど、でもやがてイエローモンキーの中でも
苦しくなって、悩んで、結局壊して、時間は掛かったけれど、
「解散」という区切りをつけて、ようやくYOSHIIは、自分が音楽をやる為に
生まれてきた使命・天命を自覚したのではないだろうか?
肝が据わったという感じがする。
この前この友が「PHOENIX」を『「何もない、ただ決意だけがある」という歌だ』と、
「WHITE ROOM」を『「羽ばたきによって起っている風」ってイメージ』だと評していた。
物凄く共感した!
『羽ばたきが起こす風で、砂埃が舞ってるような』そういう情景が思い浮かぶ。
自らを焼き尽くした灰・・・このアルバムでは砂の中で
今フェニックスが産声をあげ、翼を震わせ、
空へ飛び立とうとしている・・・
壮絶な「産声」が響いてくるアルバムだ。





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