ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

メカラウロコ15・東京ドーム - 2004年12月28日(火)

「メカラウロコ15・東京ドーム」へ行って来た。
自分なりのTHE YELLOW MONKEYの決着を着けようと臨んだイベントだったけれど彼らは、
そんな簡単に終わらせてくれるような生易しいバンドじゃなかった。
田舎者の私には、東京ドームを埋め尽くす人波の凄さにまず圧倒されて、
身動きも取れない程の混雑振りに展示物の素晴らしさに感慨を深める余裕すら無かった。
それでも今まで映像でしか見る事が出来なかった思い入れのある衣装や楽器を
間近で見れた事が嬉しかったし、ステージに上がって電飾や吉井の背の高さを
改めて実感したマイクやミラーボールを確認出来て感激だった。
ビデオ映像は、覚悟はしていたけれど堪え切れず涙が止まらなかった。
インディーズ時代の初々しいまるでダイヤモンドの原石のような姿と演奏、
デビューの頃、どんどん勢いを増して伸び盛りの頃、円熟期を迎えた頃、
疾風怒濤の頃、そして2001年1月8日でのバンド活動休止・・・
THE YELLOW MONKEYというバンドの一生を凝縮したビデオに映る彼らは、
この上なく輝いて他の何者にも敵う事がない最高のバンドだった。
このバンドを好きになって、たった一度とはいえ2001年1月4日の
大阪ドームライブを体感出来た事が私の誇りだと思えた。
ビデオの余韻に浸り込んでいる内に、客席がざわついて花道の先端にメンバーが
現れた事にやっと気づいた。
楽器を手にしている!まさかの「JAM」生演奏だった。
ビデオ上映の前、私達が席に着くと目の前に係員が大勢いて、柵も強固にしてあるし、
挨拶だけにしては随分厳重だな、と思っていたが、一曲のみとは言え4人の
演奏が聴けるとは当日まで想像だにしていなかった。
4人でもうLIVEが出来ないから「解散」なのだと思っていたから。
休止して4年、解散発表から4ヶ月あまりの今現在での4人+三国さんの「JAM」は、
結局彼らの口からは何も語られる事は無かったけれど、メンバーの心情が
万感籠もった「音」だったのだと思う。
斜めからとはいえ何も遮る物がない位置から見た吉井和哉は、非常に美しく
THE YELLOW MONKEYのlovinそのものが蘇ったかのように見えた。
エマさんは、髪が凄く短く為っていてパーカーを着て随分とラフな装いでびっくりした。
吉井が終始固い表情だったのに比べ、エマさんが笑顔をみせてくれて
「JAM」を口ずさんでいたのに胸が熱くなった。
一人だけ近況が判らず気を揉んでいたアニーが、黒髪短髪でとても格好良くなっていたのが
嬉しかった。ヒーセが一番衣装が派手でヒーセのベース姿はやっぱり格好良いなと再確認した。
吉井が“yeah yeah yeah yeah yeah i'm A Dreamer Are you Dreamer”を
客席に歌わせた時、私の前列の人達は全然歌っていず恥ずかしかったけれど、
隣の友人も私も精一杯歌った。涙が流れるままに歌った。
あの歌声がほんの少しでもメンバーに届いていれば良いな。
何度か繰り返して吉井は「そのままずっと歌っていて下さい」と
ちょっとイケズな非常に吉井らしい台詞を残してステージを後にした。
後ろの中央ステージで4人並んだあと、あっさりと彼らの姿は消えた。
てっきり「挨拶」があるんかと思い込んでいたから、力一杯の拍手にも
とうとう現れず「終了」のアナウンスが響いて落胆したけれど、
今更何も言葉にせずただ一曲「JAM」を演奏しただけの彼らの終わり方は、
心底彼ららしい選択だったのだろうと思う。
昨日のスポーツ紙に「葬式」だったのだと、メンバーの黒の衣装は「喪服」だったのだと
書かれていたそうだが、そうであるならば「JAM」はレクイエムだったのか。
何故、最後に演奏するのが「JAM」でなければいけないのだろう?って、
ドームを出てからずっと考えていたけれど、カメラに収めておいていた
故中原繁さんへの吉井和哉のコメントを読んで、この曲こそがラストであった訳を
理解した。
「そのままずっと歌っていて下さい」はどういう意味か、真意は吉井のみぞ知るのかも
しれないけれど、私は自分流の解釈でいようと思う。
大切な大好きなTHE YELLOW MONKEY歌をこれからも「ずっと歌って」いくよ。
歌い続けていれば、この曲はずっと続いていく。
これからもずっとTHE YELLOW MONKEYを愛して生きます。





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