音楽家としての使命 - 2004年10月09日(土) 昨日、吉井和哉38歳の誕生日にFLOFC内のYOSHII LOVINSONのコラム SMOKEY KAZUYAが更新されていた。 酒をやめてもうかれこれ6年近くになると言うこと・・・それは良い。 健康に気を付け、ジムで体を創り、健康で強靭な肉体を持つロッカーでいて欲しい。 気になったのは、『今までは「自分が気持ちいい」音楽をやることで精一杯だったが、 そろそろそれプラス、「人を救うための音楽」を研究してみようと 思い始めてきた。』という、その一文だ。 「FourSeasons」や「球根」や「SO YOUNG」、「峠」そして「トブヨウニ」という曲達に、 私は様々な局面で、救われて来た。 今、吉井さんが天から与えられた音楽家の使命というものを 受け入れ、『「自分が気持ちいい」音楽をやること』から 『「人を救うための音楽」を研究』へという意識変化を持つに至った事は、 とても素晴らしい事だと思う。 けれど、「自分だけでなく人も気持ちいい音楽」でなく 一足飛びに「人を救う」音楽という目標を掲げているのは、ちょっと怖いと 感じて仕舞う。精神的な意味合いにおいて人が救われるのは、 その人自身の心によってではなかろうか。 音楽は、その心の在り方を癒し解し潤いをもたらし、 自分で立つ勇気を与える存在では、と思う。 まず、吉井さんが自由に楽しめる音楽であって欲しい。 「人を救う」・・・そこまで背負わないで欲しい。 崇高な理想を掲げておられるのに、水を差すようで悪いけれど、 心配性なんです。ごめんなさい。
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