「bridge」メンバー全員独占インタヴュー - 2004年10月01日(金) 悲しくなる程までに田舎なものだから、書店に入荷するのさえ明日では?と 不安に駆られ、隣市の大型CD屋まで足を伸ばし、ようやくbridgeを入手した。 4人のインタヴューを読んで感じた事は、「解散」という名の「解放・或いは・開放」という言葉だった。 私は、bridgeでTHE YELLOW MONKEY解散を語るメンバー全員インタヴューが 行われると聞いた時、正直何も聞きたくないと思った。 8月2日の夜に堕ちたあの深い闇をもう一度突き付けられる事が怖かったからだ。 メンバー達にもう何も語ってくれるな、とまで言いたかった。 けれど、YLOFCのHP上で吉井が 『永遠のロックバンドの最後のインタビューとして相応しい、内容になると思う。 立ち読みでもなんでも 絶対読んでほしい。』と、そう語り、 またROCK JET誌でエマさんが語る解散への想いを知り、今回のbridgeに 平常心で迎える事が出来るように為っていた。 この2ヶ月私達は、私の管理するHPのBBSやチャット、或いはメールで、 何故今この時期に解散なのか?四者四様と言うなら誰が解散を望んだのか?と 話し合って来た。 それが大体の所で合っていた事に驚く。 そして一番驚いた事は、bridge発売前日の29日の夜チャットで、 「吉井がギターを弾くというのはどうしても無理がある。 エマさんに弾いて貰いなさい。吉井が存分に歌えるのは、エマのギターが鳴る時だ。」と 話していた事だ。でも2ndアルバムに既に参加しているとは思わなかった。 来年のツアーに参加予定・・・これが叶うなんて、本当に嬉しい。 けれど、「3年半も前に吉井が解散を望んだ」というこの事実は衝撃だった。 「脱退」を口にするほど、彼が追い詰められていたという事実、そこまで彼の 苦悩が深かったとは。。。 そして、活動休止後の彼のプレッシャー・・・「いつまでも待つ」ずっと そう言い続けて来た私は、本当に申し訳ないと思った。 「俺が下手人」とそういう言い方をして責任を引き受けようとする、 渋谷陽一氏が「ちょっと吉井待ってくれ」と止めたくなるぐらい、 重く苦い真実の言葉を包み隠さず、真摯に語る吉井の姿に胸が締め付けられた。 『ボートを燃やせ』 『解散という名の活動だ』 この言葉を引き出してくれたのは渋谷さんのお陰だ。感謝します。 以前、何故THE YELLOW MONKEYの解散への道を止めて呉れなかったのか!?と 6年も前に遡っての繰言を言って本当に申し訳ありませんでした。 「解散」を決められたからこそ吉井は「僕はエマを連れていって、 一緒に苦渋を舐めてもらおうと思う。」と、素直にエマの力を借りる事が出来たのだと思う。 吉井の笑顔を見て、もう前を向いて歩いているんだなと、それがとても嬉しかった。 そしてエマ、ROCK JET誌では、エマは存続を望んでいたと書かれていたし、 この先の活動がその時現在で何も決まっていない、ステージに立つのも 早くはないかもしれないという口ぶりだったから、とてもヤキモキしていた。 それが蓋を開けてみれば、既に吉井のサポートという形ではあるけれども、 ギターを弾いている、来年にはLIVEツアーにも参加の予定・・・ エマさんがギターを弾く姿をまた目に出来る、その事が堪らなく尊く思える。 ヒーセは、本当に良い顔をしている。 ヒーセインタヴューのTOPの顔も、笑顔も、進むべき道をしっかり見据えた男の 自信と気迫に満ちた漢の顔だ。 ロックの初期衝動を貫く江戸前ロッカー魂を目に物言わせてくれると思う。 アニー・・・この3年半殆ど消息の聞こえてこなかったアニーが一番気がかりだった。 アニーは、メンバーの中で一番若いというイメージがあるから (って言ってももう37歳だけれど)少しふっくらして、ふけたなという印象だけれど、 『純粋なファンに戻った』という箇所に涙して仕舞った。 『ライヴで興奮するようなドラム』そうです! アニーが叩くだけでグアーっと一気に血が沸き立つようなドラムを 聴かせて欲しい。 4人にとってTHE YELLOW MONKEYという枠が無くなる事・・・それはやはり 解き放たれたと言うことだ。 「依存」「自立」渋谷さんの言葉が、ファンである私には耳が痛く響きもするけれど、 光さす未来が開けたのだと思う。 数多くのバンドの終焉・解散をみて来た渋谷さんに「解散してこんなに良い関係のバンドいないよ」と 言わしめさせた理想のバンドTHE YELLOW MONKEYの解散インタヴューを読めて良かった。 エマが残した名言『THE YELLOW MONKEYが純粋にバンドとして愛される』存在になるように、 そういう愛し方をして行かなければならない、と誓う。
|
INDEX past will 時の谷間 |