12月19日午前9時32分、急性心臓死のため仙台市若林区の病院で死去、56歳。宮城県出身。自宅は仙台市青葉区台原4の8の20。葬儀・告別式は22日午前11時から仙台市青葉区木町通2の2の13、斎苑別館で。喪主は長男健一(けんいち)氏。 (秋田魁新報より)
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仙台商−関東学院大学出身。仙台商時代は、八重樫幸雄捕手(ヤクルト)と同期で、甲子園出場。NTT東北では、都市対抗野球に4度出場。仙台商、秋田経法大付高野球部等の監督を歴任。仙台商監督時代には、荻原投手(東海大−巨人)を擁して、1983年に宮城県内公立高校としては久々の夏の甲子園出場。2002年には、秋田経法付高監督として春の選抜大会出場。
・・・そう、1983年の夏。仙台三高は、準々決勝で仙台育英にサヨナラ勝利、準決勝でも東北を破り、私立二強(当時は東陵は開校して間もなかった)はを立て続けに粉砕。十数年ぶりに、公立高校同士の決勝となった。
三高が勝つ、と信じて疑っていなかった。 そこに立ちはだかったのが、仙台商だった。
・・・テレビの前で、地団駄を踏んだ、中学三年の夏、だった。 *当時の先輩の回想録
その時の仙台三高の、三浦監督も、来年の春に教師として定年を迎える。
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二高に入ってからも、なんか大事なところで、仙台商に負けていた記憶がある。当時は仙台商は、二高の隣にあったので、「川内ダービー」とは、・・・誰も呼んでなかった。 高校2年の夏(1985年)も4回戦で7−0,7回コールドで負けた。(合宿抜け出して宮城球場まで行ったっけ) 江尻慎太郎を擁して、春の東北大会準優勝、初?の第一シードで迎えた1995年夏の大会では、やはり4回戦で仙台商と当たって。このときは、江尻を温存しようと、小河捕手(後に慶応義塾大、現在七十七銀行)を先発マウンドに送ったが打たれ、江尻をリリーフに使うも、打ち切れずに敗れた。
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改めて、小窪監督に菊。
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