KAMMYの日記

2005年11月22日(火) 全国地域リーグ決勝大会・思い出話(中編)

 昨日の続き。

・1999年1月・第22回大会(決勝:高槻陸上)テーブル
 優勝:横河電機、準優勝:日立清水。
 この年は、J2/新JFL発足に伴い、「この大会の結果による」JFL昇格はなし(横河電機のみ、申請による新JFL参加が決定していた)。優勝した横河は、「面目を保った」格好ではあったが、準優勝の日立清水。「昇格のかからない日立清水は最強」という伝説を見事に?作ったチームとなった(後に廃部)。
 東北代表は、優勝がトーキン、準優勝が盛岡ゼブラだったが、ともに一勝もできずに、一次ラウンド(鶴見/宮崎)で落選。
 ・・・よく調べたら、この年は現場行ってないわ>俺。

・2000年1月・第23回大会(決勝:鶴見緑地)テーブル
 優勝:アローズ北陸(大会史上初!全試合90分勝利)、準優勝:栃木SC。
 この年くらいかな?前年度3位となった愛媛FCに対する期待がかなり高かったが、結果は一次R、YKKに2−3で敗れ敗退。
 俺は高校選手権準決勝を国立で見た足で、JAL特典航空券で高知に飛び、結局春野に三日間通い詰め(一次Rのもう一つはやっぱり鶴見緑地)。東北代表は、優勝のトーキン、準優勝のTDKともに一次R敗退。
 決勝Rでは、NIFの観戦仲間(通称、その筋の方)によるMIPは、栃木SCの「花園君」こと、背番号9,FW大久保晶啓(国際武道大)。決勝R初戦の狭山戦でハットを決めて大会得点王に輝くなど、その超弩級の突破が話題を呼んだ。
 結局、優勝・準優勝の両チームと、一次RでYKKにPK負で敗退した教育研究社FCが、JFL参戦となった。

・2001年1月・第24回大会(決勝:高槻陸)テーブル
 優勝:佐川急便東京、準優勝:YKK。
 一次Rが川越で行われて、俺も参戦したが、・・・雪・・・。
 おかげで、最終日の消化試合(青梅−京都紫光)が中止になったり、鳥取−北海道電力が除雪後35分ハーフで開催されたりと、散々な試合ではあった。あとは、(盛岡ゼブラの入替戦回避のために)IRレがTDKの応援で全国デビュー(しかし、TDKは2試合ともPK戦敗北)。
 で、何かと話題の愛媛FCを、春野での一次Rで5−0で粉砕した佐川急便東京が、決勝RではYKK、NTT熊本との3すくみながら、得失点差で全国社会人(宮城開催)に続き連覇、佐川グループ初のJFL参戦。準優勝は、前年度決勝で何もできずに4位、宿敵アローズ北陸に先を越されたYKK。また、3位NTT熊本、4位SC鳥取、そして一次Rで敗退した愛媛FCの5チームが、申請によりJFL参加を果たす。
 個人的な今大会のMVPは、川越で雪かきに本場の力を見せつけた?!北海道電力。
 結局、この年は一次Rの初日と最終日(中日は青森山田が高校選手権準決勝進出したため、国立に行っていた)、あと高槻3連戦通いました。

・2002年1月・第24回大会(決勝:鶴見)テーブル
 優勝:佐川急便大阪、準優勝:プロフェソール宮崎
 一次Rは、2001年12月に熊本・高知(春野)で開催。ANAの特典航空券があったので、熊本の初日は参戦。東北代表は、「チームとしては」東北リーグ初優勝・初出場のFCプリメーロ。しかし、1勝1敗で一次R敗退。
 決勝Rは、「焼き肉食べに」大阪へ。で、そこで見たのは・・・既にJFL昇格の可能性をなくした、上田サポの「どこまでも行こう」と、「最終戦で上田に4点差で勝てば昇格」だったのが、DF横パスをかっさらわれて失点し、南国高知4−1上田で3位に留まった、南国高知、とさっぽの涙・・・。日記 先輩の日記
 ちなみに、佐川急便大阪私設応援団は、この頃はまだ活動してなかった。旋風痔が応援してた。

P.S.あと、スタンドで酒盛りして、週間JFLニュースとか、2chでボロクソに叩かれたのも、確かこの大会。ついでに書くと、俺が初めて2chの国内サッカー板でスレ建てたのも、この大会だったと思う。

 続きは木曜日予定。


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