2005年05月24日(火) |
宮城県スポーツセンター、来年3月閉鎖へ |
本当は、昨日(5/23)の夜に名古屋に向かう予定だったのだが、急用が入ったため、結局今夜のドリームなごや3号で名古屋に向かうことに。(というか、実はこれ書いてるのは5/25朝、名古屋駅前のネットカフェなのだが)
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というわけで、今日の本題。 元記事:こちら。(5/20河北)
宮城県スポーツセンター 来年3月で閉鎖 県教委方針
宮城県教委は19日までに、老朽化が進んでいる県スポーツセンター(仙台市青葉区)を閉鎖する方針を決めた。施設利用は来年3月末までとし、来年度、解体工事に着手する予定。県営体育館としての施設機能は、同県利府町の県総合運動公園(グランディ21)の県総合体育館に集約する。
県スポーツセンター体育館は1964年のオープン。鉄筋3階で、延べ床面積は約7500平方メートル。バスケットボールコート2面分の競技場と約5000人収容の観客席、剣道場と柔道場がある。2001年の「新世紀みやぎ国体」で体操競技の会場になったほか、各種スポーツ大会などに使用されている。
体育館に隣接する弓道場も、同時に廃止する方針。剣道場や柔道場、弓道場の機能は、仙台市太白区の県武道館や県弓道場で代替する。 土地は仙台市が所有しており、市が管理する青葉山公園内にある。市は今後、公園整備の一環として跡地利用を検討する方針。
(別記事)
老朽化が進んでいる宮城県スポーツセンターが、来春以降解体されることになった。1964年のオープン以来、県内最大規模の屋内競技場として、幅広く利用されてきたが、近年は他の施設に大会会場を移す団体も多かった。プロレス会場としても知られ、関係者からは惜しむ声が上がっている。
センターは宮城インターハイ(90年)とみやぎ国体(2001年)で体操会場として使われた。照度などの規定で、全日本クラスの大会はセンターと仙台市体育館でしか開けないため、体操界にとって施設の存在は大きかった。 県体操協会の石川信雄事務局長(53)は「あん馬や鉄棒などの器具は最新式で、使用料も安かった。仙台駅からも近く、県高校総体予選などには最適の場所だった」と語った。
70年代はほかに大規模なスポーツ施設がなかったこともあり、大会開催が相次いだ。県バスケットボール協会の菊池哲副理事長(69)は「各団体が日程の取り合いをしたもの」と懐かしむ。国内最高峰の日本リーグも2000年まで開催していた。
しかし、みやぎ国体を前に新施設建設が相次いだこともあり、大きな大会は開かれなくなった。菊池副理事長は「グランディ21(利府町・県総合体育館)の利用も増えるが、アクセスが心配だ」と話す。 センターは県内プロレスファンのメッカでもある。85年には藤波辰巳(現・辰爾)選手がアントニオ猪木選手から初フォール勝ちを奪うなど、ファンには歴史的な場所として知られている。
当時、興行を手掛けていた新日本プロレス東北後援会の三浦知恵子さん(70)は「大きさも、雰囲気も良くて中心部からも近い。興行にはちょうど良かった。記念すべき試合が行われた場所でもあったし、そういうところがなくなるのは寂しい」と惜しんだ。
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引用が長くなったけど。
仙台市体育館ができる前は、外タレとか大きなライブは、だいたいここでやっていたような。で、石川太郎アナが、ラジ電で「宮城県スポーツセンター、音響設備悪杉」と酷評していたのを覚えている。
フェンシング的スタンスとしてはこちらに。大学のときは、毎週火曜18時から、剣道場でやっていた練習会によく出かけていたっけ。
また、プロレス的には・・・うーん。 仙台の大会場としては、スポセンか、仙台市体育館しかないのか、と。この前もZERO−ONE MAXがやってたし、6月にはNOAHが来るし。 なんか、札幌中島体育センターが取り壊されたとき、週刊プロレスで増刊号を出したくらいだから、何かやってくれないかな、と。
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