ちょうちょうの気持ち
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2003年04月04日(金) アンラクシ

わたし、ここんちの牛舎で生まれて。
まあ、それなりにやってきたつもりよ。
だけど、わたしにはここんちの牛床はちょいと狭くって。
若いうちは良かったけど、最近あちこちぶつけるようになって。
こないだ赤ちゃんを生んだばっかりなのに
なんでだか
ぜんぜん、立てなくなってしまった。
足が痛くて。

おかあさんがバケツでお水をくれた。
わたしはおかあさんが何を思ってるかしりたくて
知りたくて知りたくて
一生懸命おかあさんの目を見つづけた。
「わたしはどうなるの?わたしをどうするつもり?」

今朝も
おかあさんはお水をくれて
タオルで顔をふいてくれた。


そして。
いつも痛いことをする人が来て
痛い注射をされて
それからもう1本注射をされた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・


家に帰ってきたら牛が1頭廃用になっていて、
(そこに違う牛が居た)
調子の悪かった牛が立てなくなっていた。
もうどうしようもないって。
悲しそうな顔をして座っているだけだった。
最後の1日は私がお水をあげた。
子牛のときみたいに私から少しも目をそらさずに
水を飲んだ。
そして最期のとき、私は牛舎に行かなかった。
あとで見に行ったら、
そのまんまの姿勢で死んでいた。
ほんとうに
アンラクな死だったのかな。
でも数年前ならこんな状態になったら生きたまま
死体のようにロープをかけてトラクターで引きずり出して
死体のようにユニックで吊り上げられて
死体と一緒に運ばれて行ったのだ。
だからそれよりはずっとずっと
いいんだ
って。思うしかない。


何年も前、そんな牛がいて
牛舎の前でぼろぼろ泣いた。
私も悲しかった。
牛を飼うということがとても罪深く思われた。


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