ちょうちょうの気持ち
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2002年04月04日(木) 27回忌

1976年4月4日日曜日。
祖父が亡くなったのは中学校の入学式の前日だった。
部屋の掃除などしてぼんやりとばあちゃんちに行こう
かなぁーー、でももう遅いよな・・・なんて思っていると、
「じいちゃんが死んだって!」
と弟が飛びこんできた(ような気がする)。
とりあえず父が祖父母の家に向かった。

わけがわからなかった。

深夜帰宅した父にじいちゃんは?と聞くと
「元気だったよ」
と言った。

全くわけがわからない。

翌日。
父は通夜の準備のため出掛けたので、弟の入学式には
母が、私の入学式には母の友人のEさんのおばさんが
付き添ってくれた。Eさんちは中学校に近く、私は多
分1人でそこまで歩いて行って、おばさんに髪の毛を
直してもらった。そして入学式に出た。
式の後、教室で担任の先生の話があったけど、途中で
抜けた(ような気がする)。
ああ、「気がする」ことばっかりだわ。

祖父は一代で会社を興し、当時は父に社長を譲り会長と
なっていたが、まだばりばりだった(と思う)。

葬儀は旭川の大谷別院で執り行われた。
私の通っていた幼稚園のあるお寺だ。
すごく広い部屋が弔問客で一杯になった。
弔問客に祖母は
「脳溢血だったんです」
と説明していた。
そうか。
じいちゃん、健康オタクだったのに。
毎朝散歩をして体操をして乾布摩擦もして、神仏に祈って
いたのに、脳溢血で死んじゃったんだ・・・。
親族の控え室で伯母と何か話しながら母が泣いていた。
なんとなく、親戚の雰囲気が変。
言葉の端っこが何だか気になる。

でも、それだけだった。
私の制服はまず、祖父の葬儀で有効に使われ、新学期の
最初の2日間を忌引きで休んだ。
まぁ、そんなところ。


祖父の本当の死因が自殺で、原因は父であったことを知った
のは、もう少し後のこと。


今日は1人で、家のお仏壇で祖父にお線香を上げました。





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