山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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若くして病に倒れてしまったので父との楽しい思い出は多くない。そのあまり多くない思い出の中に、蕪島へ連れて行ってもらった記憶がある。写真を趣味にしていた父が、私に拾った昆布を持たせたり、フェンスの上に止まっているウミネコと並ばせたりしてポーズをとらせ写した写真が残っているから記憶と一致している。 あれはまだ小学校に上がる以前だったように思う。当時は既に陸続きになっていたと思うが、どこをどう歩いたか分からないけれど、護岸の胸壁のコンクリートの上を辿って歩かされた記憶がある。とにかくやっとのことで父について行った。その先に蕪島があった。初めて見るウミネコの数に圧倒されたものだ。幼いころのアルバムに当時の写真が数枚残されている。
もう一つは運動会である。私は母と一緒に観戦していたから、これもたぶん小学校へ上がる以前のことだろう。父の職場である役場は国道を挟んで小学校の真向かいにある。小学校の校庭ではよく町内会の運動会なども催された。何の競技だったかは定かではないが、父は走る競技に出場した。幼心に必死に応援していたが、あろうことかコーナーで転倒し結局ビリになってしまった。見ていた私は悲しい気持ちになったのを覚えている。夕方帰宅した父のズボンは大きく破れていた。父の運動神経はあまり良くなかったのだろう。
写真が父の唯一の趣味だったと言っていいだろう。撮影するだけでなくプリントも自分でやった。当時は白黒だから一般にもできたようだ。カメラだけでなくプリントする引延し機というのか一式を持っていた。まず暗室を作ることから始まる。光が漏れると全て失敗する。父は兄が中学生ぐらいの頃に技術を伝授しようとしていたようだが、兄の方はあまり興味がなさそだった。私は早くやってみたくてしょうがなかったが、 「おまえはまだ早い。」 と、相手にしてもらえなかった。 私が父からその写真のやり方を教わったのは、父が少し回復し退院して数年たったころ、私が小学校の高学年になってからだ。父の指示で街の写真屋さんへ行き、印画紙、現像液、定着液などに使う薬品を調達、そしてやり方を教えてくれた。私は面白いと思ったが、2・3回やって、私が中学生になって忙しくなるとその後はやらなくなった。
玄関先にトランペットの花が咲きました。 写真を写したら直後に突風が吹いて鉢がみんな倒れてしまいました。 でも起こしてあげたらなんとか持ちこたえているようです。
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