山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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| 2011年06月10日(金) |
三陸はるか沖地震の頃の記憶 |
三陸はるか沖地震の復旧の目途もついたころである平成8年の異動で、それまで11年在籍した部署から開発指導課へ移った。平成6年のはるか沖地震で危険建築物のレッテルを貼られた旧庁舎の建て替えのため、各課は分散していた。それまでの長根運動公園内にあるスポーツセンターの会議室から、テニスコートに建てられたプレハブの仮庁舎に職場が変わった。
それまでの建設部から都市開発部へ、しかも窓口業務ということでストレスが強くなった。一般市民より、したたかな開発業者の相手が大変だった。言葉尻をとられたり、揚げ足をとられないよう気をつけなければならなかった。言ってもいないことを、以前お前はOKと言ったと、平気でうそを言い立てられ、言った言わないの応酬になることも度々だった。そういうのは大抵同一の業者であることが多かった。
自分の所属する班に、国土法担当の中年の一見真面目そうな小男ががいた。ところがこの男酒癖が悪く、特に二日酔いの朝は目が座ったままで、割合早く出勤してくる。そして仕事が動き出した9時過ぎぐらいになると始まるのだ。(酒が切れないうちに)
突然大きな声で話し始める。それまで根に持っていた若手をいじめ始める。知らないふりをしていてもどんどんエスカレートする。何人がいやな思いをしたことか。
あるとき若い女性職員を槍玉に挙げた。でもこの女性言い負けずに、最後には 「酒臭いですよ、H谷川さん。酔っていないときにしてください!」 と、見事に肘鉄を食らわせた。なかなか勇気のある行動だった。
私のこれまでの経験で言えば、自己顕示欲の強い小柄な男は、声の大きさで相手を威圧しようとする傾向があるように思う。昭和60年代に港湾河川課長だったE藤氏はその典型だった。議論をしていて不利になると、相手より大きな声を出して威嚇し、相手を封じ込めようとする。このE藤課長とは何度口論したことか。(口論である。議論にならなくなる。)
あるとき(上級官庁である)県庁の国土法担当者から電話が来た。その電話に出たH谷川氏は途中から興奮し始め、電話を繋いだまま相手を待たせておいて、取り次いだ若手職員を大声で叱り付け始めた。それはほとんど言い掛かりに近いものだったけれど、オンラインのままの電話で県職員に聞かれているために、そに若手職員はあからさまに反論できず難渋していた。実はそこがH谷川氏のテクニックで、相手が反論しにくい状況でしか責めてこない。
窓口に一般市民が来ていて、市民の目と耳があるときとか。なぜなら市民には彼が二日酔いであることも、彼の言い分が理不尽だということも、カウンター越しにはなかなかわからないからだ。
二日酔いのくせにその辺の計算はしたたかだ。
その後H谷川さん、どうしてるかな? 肝硬変や肝臓がん、脳卒中なんかになってるかもしれないな。 俺より長生きしたら許さねえぞ。
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