山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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放射線治療5回目。
東病棟6階のフロアを自主トレで歩いていると、ナースステーションの脇に1枚のポスターを発見した。「野外コンサート」である。9月6日に予定されていたが雨で中止になったため、改めて14日に規模を縮小して開催するのだろう。出演予定は白銀小学校、湊中学校の2校である。
白銀小学校では苦い思い出がある。
明治小学校5・6年のときに器楽部に入っていた。よその学校に比べて楽器も少なかったが、山田ハルという音楽の先生のもと、それなりにみんな張り切って練習をしていた。アコーディオンやピアニカ、ホルン(といってもハーモニカのおばけみたいな楽器)、木琴、鉄琴、そして打楽器、今はこれぐらいしか思い浮かばない。
私の6年のときのパートはソプラノアコーディオン、白銀小学校で演奏会があった。そのとき演奏した曲目は「ドナウ川のさざなみ」(イヴァノヴィッチ作曲)で、前奏にソプラノアコーディオンのソロがあった。私はその音楽会でそのソロをトチり、そこから演奏会を終えて学校へ帰るまで朦朧としたままだった。何度も何度も練習したのに、そのとき失敗したのだ。本当は5年生の女の子に、私よりうまい子がいたのに、山田先生が私にソロをやらせてくれたのだった。それを見事に失敗した。
このときのことが、その後の私の人生に重くのしかかっている。それまでの「オレが」「オレが」という気持ちに抑制がかかった。少しは控えることを知ったかもしれない。
器楽部で演奏した曲はたくさんあったのだろうけれど、今にして思えば、記憶に出てくるのは、上記の「ドナウ川のさざなみ」、「双頭の鷲の旗の下に」、「スペアミント」とこんなものだ。
このときの演奏会で他の学校が演奏した「小フーガト短調」にわれわれ明治チームは魅せられた。バッハのこの曲はつとに有名だが、小学生の私たちはそのとき初めて耳にした。その後の給食時間にはよくこの曲がリクエストされていた。私たちも卒業までに一度はこの曲にチャレンジしたかったのだが、その夢は叶わなかった。
昼前に収納課勤務、以前は下水道業務課にいた三浦亜希子さんが見舞ってくれた。自身の診察のために休暇を取ったそうだ。なぜか3日前に私が入院していると知ったそうで、「もっとはやく教えろよ」だって。オレが教えるわけにも行かないでば。秋には休暇を取ってハワイへ行くそうで、うらやましい限りである。
午後からは少し暖かくなってきたので、久しぶりに「せなの傷 定点観測」を更新した。天気のせいであまりいい写真は撮れなかったが、雰囲気は分かるだろう。ついでに放射線を照射するときに照準を合わせるためのマーキングも写しておいた。これにレーザーの赤い光を合わせる。
今日の映画 「オーロラの彼方へ」(原題:Freaquency) staff 監督:グレゴリー・ホブリット cast デニス・クエイド(フランク役) ジム・カヴィーゼル(ジョン役) 「NYの空にオーロラがしゅつげんし、メッツのワールドシリーズ出場にクイーンズ中の市民が熱狂した1969年10月。 6歳のジョン・サリバンは幸せだった。頼もしい消防士の父、優しい看護婦の母。ジョンの周りには、いつも愛と笑い声があふれていた。だが、その夢のような日々は、父の殉死によって終わりを告げる。 それから30年、ジョンはずっと問い続けてきた。もし父が生きていたら、自分の人生はどうなっていただろう、と。父に車の運転を習い、カーブの投げ方を教わり、一緒に釣りにいくことが、どれほど素晴らしい思い出になっただろうか、と。ジョンにとって、それは永遠に手に入らないはずのものだった。NYの空に再びオーロラが輝いたその日、無線機の彼方から。若き日の父の声が聞こえてくるまでは・・・。」
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