山ちゃんの仕方がねえさ闘病記
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2003年08月05日(火) |
眠れぬ夜はラジオ深夜便 |
せっかく涼しい白銀地区の労災病院なのに、とうとうここ数日暑い夏がやってきた。実は冷房がない。それでも昨夜は浜風が入り込み一昨夜よりは凌ぎやすかった。その暑さのせいではないが、夕べは午前1時過ぎに一度トイレに起きてから、とうとう朝まで眠れなかった。
午前2時ごろからはNHKラジオの「ラジオ深夜便」を聞いてみた。この番組は1時間ごとに区切ってプログラムを構成している。今日のはこうだった。
2時台 ロマンチックコンサート(今日はクラシック)ヘンデルの音楽 ヘンデルはバッハとともにバロックの巨匠といわれ、共に1685年ドイツ生まれ。イタリアを経てイギリスで活躍。ウェストミンスター寺院に葬られている。バッハは一世紀近く経ってから認められたが、ヘンデルは生前からその名声を馳せた。
3時台 にっぽんの歌・こころの歌(今日は昭和48年のヒット歌謡曲) 沢田研二「危険な二人」で始まり、何曲か。五木ひろし「ふるさと」など
4時台 心の時代(今日と明日は俵萌子の「老後の楽しみ方」だったかな?) 現在72歳の俵萌子氏が赤城山の麓に「俵萌子美術館」を設けることになったいきさつや、病気をしたとき、交通事故での挫折、70歳を過ぎてからパソコンに取り組み始めたきっかけなどを語る。また、病気を契機に取り組み始めたボランティアの団体で、がん体験者の手記「病気がくれた贈り物」を自費出版した。 お話の中で俵氏の好きなことば「今日がいちばん若い」について語っていた。何かをやるかやらないか躊躇しているとき、「今日がいちばん若い。これから先、今日より若い日はやってこない」と考えることにより、何事にも挑戦してきたそうだ。50歳を過ぎて車の運転免許を取るときも、70歳を過ぎてパソコンに手を染めるときにも。
何気に感動した私は、前出のがん体験者の手記「病気がくれた贈り物」を俵萌子ホームページを介して注文した。
ラジヲを聞きながらとうとう朝になってしまった。眠くないのだからしょうがない。いつもどおりの生活を始める。ベッドから起き出す時に腰を痛めないよう慎重を期す。ベッドで腰痛体操をした後起き上がる。トイレなどを済ませ、車椅子を歩行器代わりに軽くフロア内を歩く。途中体重計に載ってみる。どうも少しずつ減少気味だ。出された食事は全部、そのほかにも果物などを摂っているのに減るとは気持ちが良くない。もうちょっとこってりしたのが食いたい。
リハビリは再開二日目。夕べの睡眠不足とまだまだ腰の様子を伺いながらだったので、昨日と同じぐらいのメニューで止めておく。歩く格好が良くなっただけでも上出来。
体重が少し落ちてきたので、妻がカロリーの高いものを食わせたがる。お昼には何とかサンドとたこ焼きを買ってきた。病院食と併せて食べる。以後いろいろ食わせられそうだ。
昼食後、睡眠不足解消のために横になってみるが、なかなか寝付かれない。音楽CDを聴いてみる。ちょっとだけ眠れたかもしれない。
ここ2・3日、娘とアイスタイムをしている。売店からあるいは自販機から娘に買ってきてもらう。アイスは苦手なのだが、治療の最中に氷をなめさせられてからは、これに慣れる必要があると考えたからだ。ちょうどお祭りが始まって暑くなったから、食ってみることにした。今日までのメニューは 8/2 セブンティーンアイス・チョコナッツコーン 8/3 セブンティーンアイス・チョコミント 8/4 ジャイアントコーン・アーモンドチョコ 8/5 ジャイアントコーン・チョコアンドバニラ である。毎日娘と何にするか相談するのが楽しみになってきた。
今夜はぐっすり眠ることができるだろうか。看護婦さんたちも心配してくれた。
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