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2004年06月17日(木) レッスン後の憂鬱

自分のピアノにおける技術や考え方が、ものすごく上達したなぁ、と思う日もあれば、
全然ダメじゃん。なにやっても、自分、ヘタクソー、めっさダメダメ。と思う日もある。
そんな日は、練習していても、「一体この練習が本当に役に立つのか、正しいのか」みたいな疑念まで湧いてきて、やる気がなくなることこの上ない。

いやね、今日のレッスンに、一年ぐらい前にやったショパンのソナタをもう一度持っていったのですよ。
自分なりに、いろいろと曲の見方も変ったし、技術的にラクに弾けるようになった所もあるし、新しい指使いにしてみたり、流れ的におかしかったところを実験的に変えてみたり、ま、要するにいろんな部分が、一年前とは違っていたはずなんです。
・・・でも、レッスンで、教授にそれに気が付いてもらえなかった。
もちろん、まだその「変えた部分」というのは、昔からのクセが思わず出てしまったりと、少したどたどしかったりするから、そこを「弾けてないじゃないか」と言われるのも仕方がないと思う。
でも、「変えたからこそ、まだ慣れていないんです」と、わざわざ言い訳しなくてはいけないのが、なんだか情けない。
私は、どうしてこう変えたのか、どうしてこういう流れにしたいと思ったのか、よく楽譜を読んだ上で考えた、そういうことを、教授はわかってくれると、そして、それに対してのコメントが(良いにしろ悪いにしろ)もらえるものだとばかり、思っていたのだ。
もちろん、今日は教授もひどく疲れていたみたい(自分で「今日は疲れているのだ、すまない」と言っていた)だからかもしれないけれど、でも、なぁ・・。

つまり、自分が思ったほど「変わっていない」ということなのか。
変えたと思っても、変わった、と他人に伝わるほどではないのか。
一年で、聴く耳が変わった、楽譜を読む意識が変わった、上達した、と、密かに大喜びしていた自分は、ただの自意識過剰だったのか、とさえ思ってしまう。

そして、どうも、教授と私の、曲に対するイメージがなんだか噛み合わないのだ。
多分、根本のところで違うのだと思う。相手の「イメージ」を理解しようと試みる作業は、難しい。そして、お互いに自分のやりたい事が伝わっていないのがわかるから、お互いに憂鬱が募る。
あの人は、説明不足なところが多々あって、なんだか言っていることが良く理解できないこともある。ドイツ語がどうこう、というのではなくて・・。実際に「こうだよ」と弾いてもらっても、どこが違うわけ?と、なることが多い。
もちろん、センスもいいし、よいレッスンをしてくれるときもあるのだけど(特に、私自身が「弾けている」ときは上機嫌になる)、こうやって私自身がなんだかよくわからないぞ、と、迷いだしたときに、それに対するいいアドヴァイスをくれたことが、今まであったかどうか・・・。
「言っていることがよくわからない」「何が違うのかわからない」と言っても、「キミがもうちょっと弾きこめば自然にわかってくる」みたいな突き放し方をする。そうとしか言いようがない気持ちもわかる。でも、違った角度から説明してみようという気すら起きないのか、と、私もいらだってくる。
もし、その私の「弾き込み方」が間違っていたら、どうしよう、と、不安にもなる。
だって、私自身は、今までの弾き方が、好きだったりするし、教授が弾いてくれるソナタを、あまり良いと思わないのだから。

まあ、でも、客観的に聴いてそういう意見が出るという事は、どっちにしろ、弾き込みが足りないという事なんだろう。
もうちょっと、研究するしかないなぁ。
文句言わせないくらいに、変えた部分も、自分の「モノ」にするまで弾き込まなくちゃ。

しかし、朝からマグデブルクで室内楽のレッスンを受け、そしてライプツィヒヘ移動して、なかなかハードな一日でした。精神的にも肉体的にも・・。


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