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2010年09月11日(土) ■ |
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「『患者さま』と呼びましょう」により、病院の中で起こったいくつかの変化 |
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『街場のメディア論』(内田樹著・光文社新書)より。
【少し前に、ある国立大学の看護学部に講演で招かれたことがありました。講演の前に、ナースの方たちと少しおしゃべりをしました。そのときに、ナースセンターに貼ってあった「『患者さま』と呼びましょう」というポスターに気づきました。「これ、なんですか?」と訊いたら、看護学部長が苦笑して、そういうお達しが厚労省のほうからあったのだと教えてくれました。 僕はそれを聞いて、これはまずいだろうと思いました。これは医療の根幹部分を損なう措置なんじゃないかと思って率直にそう言いました。その場にいたおふたりとも頷いて、興味深い話をしてくれました。 「患者さま」という呼称を採用するようになってから、病院の中でいくつか際立った変化が起きたそうです。一つは、入院患者が院内規則を守らなくなったこと(飲酒喫煙とか無断外出とか)、一つはナースに暴言を吐くようになったこと、一つは入院費を払わずに退院する患者が出てきたこと。以上三点が「患者さま」導入の「成果で」ですと、笑っていました。 当然だろうと僕は思いました。というのは、「患者さま」という呼称はあきらかに医療を商取引モデルで考える人間が思いついたものだからです。 医療を商取引モデルでとらえれば、「患者さま」は「お客さま」です。病院は医療サービスを売る「お店」です。そうなると、「患者さま」は消費者的にふるまうことを義務づけられる。 「消費者的にふるまう」というのは、ひとことで言えば、「最低の代価で、最高の商品を手に入れること」をめざして行動するということです。医療現場では、それは「患者としての義務を最低限にまで切り下げ、医療サービスを最大限まで要求する」ふるまいというかたちをとります。看護学部長が数え上げた三つの変化はまさにこの図式を裏書きしています。 厚労省がこんな奇妙な指示を発令したのは、彼らが社会関係はすべからく商取引モデルに基づいて構想されるべきだという信憑の虜囚になっているからだと僕は思います。 小泉純一郎内閣のときににぎやかに導入された「構造改革・規制緩和」政策とは、要するに「市場に委ねれば、すべてうまくゆく」という信憑に基づいたものでした。「市場原理主義」と呼んでもいいし、「グローバリズム」と呼んでもいい。行政改革にも、医療にも、教育にも、さまざまな分野にこの信憑がゆきわたりました。 すべては「買い手」と「売り手」の間の商品の売り買いの比喩によって考想されねばならない。消費者は自己得利益を最大化すべくひたすらエゴイスティックにふるまい、売り手もまた利益を最大化するようにエゴイスティックにふるまう。その結果、両者の利益が均衡するポイントで需給関係は安定する。市場にすべてを委ねれば、「もっとも安価で、もっともクオリティの高いものだけが商品として流通する」理想的な市場が現出する。市場は決して選択を誤らない。というのが「市場原理主義」という考え方でした。 そのモデルを行政もメディアも、医療にも適用しようとしました。その結果が「できる限り医療行為に協力せず、にもかかわらず最高の医療効果を要求する患者」たちの組織的な出現です。 僕はそういう患者のありようについて、個人的な人格的欠点をあげつらってもあまり意味がないだろうと思います。だって、これは患者たちひとりひとりの個別的な選択ではなく、イデオロギー的に勧奨されたふるまいだからです。そういうふうにふるまえば、どんどん医療の質が上がりますよ、と。そう言われたから、患者たちは、おそらくは善意に基づいて院内規則を破ったり、看護師に暴言を吐いたりしているのです。僕が問題だと思うのはこのことです。 自分が「悪いことをしている」という自覚があって、それでも「公共の福祉より自己利益を優先させるぞ、オレは」と肝を括って悪事をする人間なんか現実にはほとんどいません。人間はなかなかそんなに悪くはなれない。人間が悪いことを平然とできるのは「そうすることがいいことだ」というアナウンスを聞きつけたからです。 この「患者さま」たちはたぶん主観的には「日本の医療を改善する」ことに貢献しているつもりでいるのです(完全には信じていないにしても、半信半疑程度には)。そして、その確信を支えているのはメディアが「消費者モデル」の有効性を声高に賛美しているからです。万人が消費者として容赦なくふるまうとき、市場は最高の状態に向かってまっしぐらに進化してゆく。このイデオロギーはもともと行政が主導したものですけれど、メディアはこのイデオロギーの普及に積極的に加担してきました。僕が知る限り、医療機関に対して仮借ない批判を向けることによってのみ医療の質は改善され医療技術の水準は向上するという信憑をメディアは一度も手放したことがありません。 さすがに医療崩壊がここまで進行すると、あまり「仮借ない」のもどうかな……というくらいの自制心は出てきたかもしれませんが、それでも自分たちが展開してきた医療批判が医療崩壊という現実を生み出した一因だということをメディアは認めない。】
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僕自身の感触としては、「患者さま」という呼びかたがすすめられるようになった時期と、病院で患者さんの暴言や問題行動が目立つようになった時期は「同じくらいの時期」という印象で、どちらが先なのかは、はっきりしないのですけど、それは、僕がずっと田舎の病院に勤めていたからなのかもしれません。 でも、ここで内田先生が指摘されているような「変化」は、医療の仕事をしている人間の多くが感じていることだと思います。 「できる限り医療行為に協力せず、にもかかわらず最高の医療効果を要求する患者」たとえば、「食事療法をするつもりがないのに、血糖値のコントロールが悪いのは医者の治療が悪いからだと主張する患者」「末期がんの状態で見つかったのに、治療ができないのは『医者の腕が悪い』からだと罵る患者」などは、僕が医者になった15年前くらいにもいたのですが、その数はどんどん増えてきているような気がします。 そして、急患治療中であることをアナウンスしているのに、外来で「どうして予約の時間に診ないんだ!」と看護師に詰め寄る人も少なくありません。 こういうのは「もし自分がいま、心臓マッサージを行われている患者だったら……」という想像力がはたらかないのだろうか?と思うのですが、「消費者的なふるまい」だとすると、なんとなく合点がいきます。 週刊誌やテレビなどで採り上げられている「病院の選びかた」なんて、「とにかくクレームをつけてみて、自分が優先的に診てもらえるようなら儲けもの」あるいは、「雑誌やネットで見た不確かな知識を、とにかくぶつけてみて反応をみてみましょう」という感じのものばかりですし。
この文章を読んで、ようやく納得できたのですが、要するに医療の世界に「市場原理主義」が導入されることによって、患者さんたちは、「交渉次第によって、もっといい医療が受けられるはず」という確信を持っているのでしょう。 家電量販店で値切ることによって、値引きやポイントがつけられるように、「病院とか医者というのは、100%の力を出さずに利益を享受し、無知な患者から利益を貪っている」。だから、「プレッシャーをかけることによって、顧客はより良いサービスを受けられるはず」。
実際は、そんなことはないんです。 たとえば病室の居心地のよさとか、病院食の味などについては、たしかに、まだまだ改善の余地はあると思いますが、治療に関しては、「いろんなコストの問題などもあるけれど、とにかくその患者さんにとってのベストを尽くす」しかありません。 「手抜き医療」のリスクを現場はよく知っていますし、そもそも、同じ人間として、「お金のために、助かるはずの人を、あえて助からないようにする」ようなことをやりたがる人が、いると思いますか? 過去には、そのような「必要ない手術をした病院」が摘発されたことがあるのも事実ですが……
僕は何人もの患者さんから、「患者さま」って、お客様扱いされるのは、かえって気味が悪い、という話を聞きました。よそよそしくて冷たい感じがする、とも。 もっとも、こういう感覚を持つ人は高齢の患者さんに多いようなので、将来的には「『患者様』が治せと言ったのに、治さないのかこのヤブ医者!」みたいな人ばっかりになっていくしかないのかもしれませんね。つらいなそれは……
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