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2010年01月24日(日)
「一生ディナーをともにすることのない人に何を言われても気にする必要はない」

『本田流 しりあがり的 額に汗する幸福論』(本田直之×しりあがり寿著・かんき出版)より。

【成長したければ、人の話を素直に聞くこと。とくに身近な人の苦言は、自分を磨く砥石だと思って、耳を傾けてください。
 けれども、親しくない人が、単なる思いつきで言ったようなことまで真に受けて、右往左往したりするのはどうでしょうか。

「一生ディナーをともにすることのない人に何を言われても気にする必要はない」

 森理世さんがミスユニバースになった後、週刊誌でいろいろ書かれて悩んでいたとき、彼女を育てたイネス・リグロンはこういったそうです。なるほど、至極名言。】

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 初代「ブログの女王」と呼ばれた眞鍋かをりさんが、以前、こんなことを言っておられました。
「ネットの掲示板での自分への悪口は、『見たら負け』なんですよ」

 芸能人や有名人への「マスコミからのバッシング」は、「芸能界」と「マスコミ」ができて以来、ずっと続いている「慣習」なのです。
 でも、たしかに「一生ディナーをともにすることのない人」の誹謗中傷にいちいち反応していては、身がもちませんよね。
 それに、芸能人や有名人は、バッシングされることがあっても、メディアからの恩恵を受ける面も確実にあるので、ある種の「有名税」として、ガマンせざるをえないところもあるでしょう。

 しかしながら、現在の「ネット社会」では、メディアからの恩恵をたいして受けられるわけでもないのに、「一般人」から一斉に叩かれるというマイナス面ばかりを引き受けなければならない人が出てくるようになりました。もちろん、ネットのおかげで、これまでは注目されなかったような人や活動にも光があたるようになったのも事実なのですが。

「一生ディナーをともにすることのない人に何を言われても気にする必要はない」
確かに、至言だと思います。逆に、言う側は、「一生じかに接することのない人」だと考えれば、面と向かっては絶対に言えないような酷いことを行ったり書いたりできますしね。

 やはり、大事なのは「スルー力」だということなのでしょう。
 でも、有名人でもないのに「全くディナーをともにする可能性がなさそうな人から、こんなに悪口を言われるようになった世界」というのは、かなり怖いよなあ。