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2009年05月31日(日)
「1本のゲームで名曲は1曲でいいと思ってますよ」

『桜井政博のゲームについて思うことX』(桜井政博著・エンターブレイン)より。

(『大乱闘スマッシュブラザーズ』や『星のカービィ』シリーズの生みの親、桜井政博さんが『週刊ファミ通』に連載されているコラムを単行本にした本から。巻頭の作曲家・植松伸夫さん(『ファイナルファンタジー』シリーズの作曲など)との対談の一部です)

【桜井政博:最近は映像の表現がどんどん進化しているので、音楽の主張とかみ合わなくなってきているのかなと思います。メロディーを重視して音楽が前面に出すぎると、映像と食い合ってしまいますよね。

植松伸夫:環境音のような音のほうが、いまのゲームと合ったりするんですよ。でもそれって、音楽家にとってはあまりおもしろいものではなかったりするけど。

桜井:ホントそれ、『スマブラX』を作っているときはわたしもすごく悩みました。いろいろな方に曲を作っていただいて、できた曲を映像にあてがおうとすると、ゲーム画面には合ってもムービーにはあまりそぐわない。曲自体は良いし、映像もちゃんと作られているのに、お互いの主張が食い合ってしまうんです。

植松:ここは映像を立てるべき、というシーンでは音楽は一歩引くべきだろうし、その逆もしかり。そのメリハリが必要なんだろうね。

桜井:音楽を主張しようっていう方向性はキツイかもしれませんね。

植松:だから僕は、1本のゲームで名曲は1曲でいいと思ってますよ。映像とかセリフを前に出しておいて、ここぞというところで美しいメロディが流れれば、余計に浮き立つというか印象に残るじゃないですか。

桜井:それですね!

桜井:『FF(ファイナルファンタジー)』の音楽を作っていたとき、何かテーマはあったんですか?

植松:テーマはとくになかったよ。でも1作目を作るとき、音楽は有名なアーティストに頼もうって話になってたんですよ。だけど坂口さんが「植松とやりたい」といってくれたおかげで、こうしていられるわけです。

桜井:もし別の人が『FF』の曲を作っていたら、ゲーム音楽の歴史が変わっていましたね!

植松:『FF』がたまたまヒットしてくれたので生き延びられました……。

桜井:たまたまではないと思いますよ。やっぱり『FF』の音楽は「なんていい曲なんだ!」と思わせるだけの力を持っていましたし、だからこそいまはあると思うんですよね。

植松:でもね、偶然というのは確かにあるんですよ。ニーズがあるところに、僕たちがポンと良いタイミングで出せたという偶然。そこで、自分たちの作ったものが評価されるという感動を一度でも味わってしまったら、もうこの仕事はやめられないじゃない(笑)。

桜井:自分でゲーム音楽を企画する場合、とくに『星のカービィ』を作っていたときに大前提としていたことがありまして。それは「歌えるメロディーにすること」です。『カービィ』は小さい子が遊ぶゲームだから、という理由もあったんですが、自分で歌えて、なおかつ心に残ること。カービィのデザインコンセプトが「誰でも描けること」という部分まで含めて、それが大事なんですとスタッフには言っていましたね。

植松:昔のファミコンって、そういうゲームが多かったよね。口ずさめるようなメロディーが。

桜井:そうでない曲を作るのが難しいのかもしれませんけれど。あと、ゲームをやっていて「これは良い曲だな」と思う基準は、自分の好き嫌いよりも、まずゲームに合っているかどうか。それでいて、遊んだ記憶として振り返ったときに良い曲であるかどうか、ここが重要です。

植松:なるほど。

桜井:RPGなどで多くの人は経験したことがあると思いますが、ついウトウト寝てしまったときに、曲がものすごくループして頭にこびりついてしまう。それでメロディーを覚えられたとしても、曲としては良いものではないかもしれない。でも、そのときのゲームの記憶や経験自体が良いものであれば、その曲も良いものになりえると思うんです。

植松:ゲーム音楽の祭典、PRESS STARTで演奏する曲を決めるとき、ゲーム音楽として選曲するべきなのか、”音楽”としての選曲をするべきなのかを決めかねるときはあるよ。いまだに自分の中でね。

桜井:わたしが「この曲どうですか?」と提案したときに、「良い曲だね」という感覚で選んでもらって全然問題ないと思いますよ。

植松:でもメロディーが大したことなくても、聴きたい音楽ってあるじゃない? 『スペランカー』とか。ああいうゲーム曲って、「音楽として良いか?」と聞かれると微妙かもしれないけれど、ゲーム音楽としては確かにおもしろいんです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ハードの進化によって、現在は「普通の音楽」をゲーム中に流すことができるようになったのですが、正直、「昔に比べると、印象に残るゲーム音楽が少なくなったなあ」という気がします。
 もっとも、僕も年をとって、昔ほどゲームばっかりやっているわけにはいかなくなった、という面もあるのでしょうけど。

 ファミコンの音源は、「音階の演奏ができるモノフォニック(単音)のパートが3つと、ノイズのみが演奏できるパートが1つ、の計4パート/4ボイスという構成」なのだそうで、この「3音」で「普通の音楽」をやるのは至難のワザ。
 それでも、植松さんやすぎやまこういちさんのような「ゲーム音楽家」たちは、その制約のなかで、たくさんの名曲をつくり出しました。
 ゲーム好きの作曲家たちにとっては、「制約」が、かえって「やりがい」になっていたようでもありますし。
 以前聞いた話では、すぎやまこういち先生は、植松さんの「3音だけってのは、やりにくいですよね」という問いに、「音楽なんて2音で充分。ドラクエは2音で作ってるよ。残りの1音は効果音に使ってる」と答えられたそうです。

 いまのゲーム制作というビジネスの規模からすると、もっと「有名作曲家を起用する」という選択もありえそうなのですが、実際は、すぎやまこういちさんのような「もともとゲームというものをよく知っていた人」以外は、あまり成功していないのが現状です。
 その理由には、この対談であげられているような「ゲーム音楽の特殊性」があるのかもしれません。
 「ここは映像を立てるべき、というシーンでは音楽は一歩引くべきだろうし、その逆もしかり。そのメリハリが必要なんだろうね」
 「1本のゲームで名曲は1曲でいいと思ってますよ」
 こういう感覚は、「音楽の世界だけしか知らない人」にとっては、なかなか受け入れがたいはず。映画音楽などは、比較的近そうですけど。

 でも、これを読んでいて、以前、サザンオールスターズの桑田佳祐さんの「サザンのアルバムでは、珠玉のバラードを活かすために、ひとつのアルバムには厳選したバラードを1曲かせいぜい2曲しか入れない」という話を思い出しました。噂では、以前所属していたレコード会社がサザンの「バラード・ベスト」を出したときには「その1曲1曲のバラードをオリジナルアルバムで効果的に聴かせるために、どんなに苦労していると思っているんだ!」と、かなり立腹されていたとか。
 植松さんも「名曲は1曲でいい」というより、「名曲を効果的に使うために、全体の構成を考えている」のでしょう。

 ここで桜井さんと植松さんの話に出てくる、「居眠りしてしまって、耳に残ってしまったRPGのフィールドの曲」とか、「メロディーはたいしたものじゃないはずなのに、なぜか聴きたくなる『スぺランカー』の音楽」というのは、僕にもすごくよくわかります。
 なんというか、ゲーム音楽には、そのゲームにまつわる記憶がしみついていて、『スぺランカー』を聴くとすぐ怪我しそうな気がしてくるし、セガの『アウトラン』を聴くとついついアクセルを踏み込んでしまうんですよね。

 いまさら、「ファミコン時代の3音」に戻ることは不可能なのでしょうが、あの時代のゲーム音楽というのは、音数以上に豊かなものだったのではないかと思われてなりません。
 同時期のどんな流行歌よりも『ドラゴンクエスト』の「序曲」や『スーパーマリオ』のBGMのほうが、多くの人の耳に残っていそうですしね。