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2009年01月15日(木) ■ |
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気まぐれな「経営の神様」 |
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『ジョブズ VS. 松下幸之助』 (竹内一正著・アスキー新書)より。
【幸之助と妻むめの、さらにその弟・井植歳男の3人で第一歩を踏み出した松下電器にはその後、井植の弟の薫も参加し、一緒に働き始める。 ランプ・アイロンと新製品を出し、事業規模が拡大してくると、それまでの工場は手狭となり、増築をする必要が出てきた。当時、工場といえば木造が一般的だったが、鉄筋で建てる工法が新たに導入され始めていた。しかし、鉄筋の工場建設はコストがとても高い。その一方で、強度的には木造よりも優れているので、柱を少なくすることができた。柱が少ないということは、倉庫スペースをより広く使えるわけで、それだけ多くの製品在庫を置くことができるのだ。 そこで薫は、次は鉄筋で工場を新築するべきだと幸之助に進言する。人の話をよく聞く幸之助だが、この時は建設コストが高いことを嫌がって、「鉄筋は、ダメだ!」と一蹴してしまう。 「今日は(幸之助の)機嫌が悪かったからダメと言ったのだろう」と考え、別の機会を待った。しばらくたって、機嫌が良さそうだと見定めた薫は、幸之助に近づき、「工場を、鉄筋で建てたいのですが」と言ってみた。しかし今回も、「ダメだ!」と2度目の拒絶にあう。 それでも井植薫はくじけなかった。3度目の正直を狙って、機嫌の良さそうな幸之助に「工場を鉄筋で」と言ったところ、顔色を変えた幸之助が「何度言うたらわかるんや!」と怒鳴りつけた。ついに薫はあきらめて、幸之助の指示通り木造で工場を建設することにした。 さて、幸之助ができあがった木造の新工場を見にきたときのことだ。 「なんやこれ、柱ばっかりで、倉庫の役にたたんやないか」と幸之助は文句を言い出した。揚げ句に、「何で鉄筋にせんかったんや」と薫を責め始めたのだ。 薫は憤慨し、「3度も提案しました」と抗弁したが、幸之助は「それを説得するんが、君らの仕事やないか」と言い放った。こうなれば、もはや返す言葉はない。同じような体験をしたことのある読者も多いだろう。上司に反論できないのは、どこでも同じなのだ。
ところでこのエピソードには続きがある。 井植薫に理不尽なダメ出しをした幸之助だったが、その後、新築工事の外に出て少し歩くと、急にニッコリ笑ってまわりに「いや、みんなご苦労さんやったな」と労をねぎらってみせた。それだけで終わらず、「これからは鉄筋にしような」と言ったのだった。 無茶を言った後で、「あれは無茶だった」とわかっても、部下に謝るのは簡単ではない。怒鳴った後に、「あれは言い過ぎだった」と感じても、口に出すことはなかなかできない。 当時は、「オヤジ(幸之助のこと)に叱られたら一人前」と松下電器の社内では言われていた。幸之助は叱る時は、論理的ではなく、感情的になって怒鳴っている。ところが、次の日には手のひらを返したような口調で、「元気か?」と声をかけるのだった。 これができる経営者はそうはいない。人間は感情の動物である。一度怒ってしまうと、いつまでもそのムードを引きずってその人間に対応してしまう。怒鳴られたほうも、いつまでもそのムードのままである。 ”演技”とは、意識して行うものだ。だから、怒る、怒鳴るは演技でするものではなく、感情から出てくるものだ。だが、その後のフォローは感情に流されっぱなしではダメで、意識しないとできない。人のやる気を起こすには、”演技”が必要なのだ。】
参考リンク:スティーブ・ジョブズの「3分間で100億円を生むプレゼン」と「ホワイトボードへの異常な執着」(『活字中毒R。』3008年8月18日)
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松下幸之助さんといえば、「経営の神様」と呼ばれるほどの名経営者なのですが、そんな「神様」にもこんなエピソードがあったんですね。 いや、この本を読んでいると、松下幸之助さんは、必ずしも「完璧な人格者」ではなくて、よく言えば「人間的」、悪くいえば「理不尽」な周囲への要求もあったようです。 参考リンクでは、現在の「世界を代表する経営者」のひとりであるアップルのスティーブ・ジョブズの「乱行」の数々を紹介しているのですが、この二人の歴史的な経営者のさまざまなエピソードを読んでいくと、経営者というのは、必ずしも「完璧な人格者」である必要はないのだなあ、ということを感じます。
僕がこの松下幸之助さんの「木造と鉄筋の話」を読んで最初に思ったのは、「なんて気まぐれな人なんだ、こんな人の下で働いたらたまらないだろうな……」ということでした。3度も部下の進言を断っておきながら、完成した途端に「それでも俺を説得するのが、お前の仕事だ!」なんて。 僕だったら、もし自分の実力に自信があれば、その瞬間に辞表を提出してしまうかもしれません。たぶん、井植薫さんも「たまんねえなあ……」と思ったのではないかと思います。この話をずっと覚えておられるくらいですから。
ただ、このエピソードには、やはり、学ぶべき点もあるんですよね。 ひとつは、松下幸之助さんの「率直さ」。あれだけ自分が「木造にしろ」って言っていれば、いくら一目見ただけで「鉄筋にすればよかった……」と後悔しても、それを表に出すのはためらわれるのではないでしょうか。 それを即座に「鉄筋のほうがよかった」と認めてしまえるのは、けっこうすごいことなのかもしれません。 そして、もうひとつは、「切り替えの早さ」。 人間関係の難しさというのは、一度それが壊れてしまうと、なかなか修復ができないところにあるのです。 ちょっとしたことで誰かと言い争いをしたり、気まずくなってしまうと、お互いに敬遠しあって、さらに関係をこじらせてしまうというのはよくあることです。 その人が自分にとって大事な人であっても、一度喧嘩をすると、なんとなく声をかけずらくなってしまいますよね。 喧嘩した翌朝に、「昨日は悪かった」と一声かけることができさえすれば、「いや、こっちも言いすぎた」なんて水に流せることでも、「向こうが先に謝るべきだ」「昨日あんなに言い争っていたのに、一晩経ったくらいで急に態度を変えるのは気恥ずかしい」というような理由で、なかなかわだかまりは解消できず、謝るタイミングを逸してしまいがち。そうこうしているうちに、「あいつは自分を嫌って、避けているのではないか」という不信感が増してくるのです。避けているのは自分のほうであっても。
「気まぐれ」「気分屋」のようにしか思えないこのエピソードなのですが、少なくとも、松下幸之助さんの「人間関係における切り替えの早さ」はたいしたものです。 これだけアッサリ切り替えられたら、「なんなんだこの人は……」と拍子抜けしつつも、許してしまうしかなさそう。「わだかまり」の芽は、早めに摘むに限るのです。 まあ、頭ではわかっていてもなかなか実行できないのが、僕のような凡人の宿命ではあります。 ある意味「気分屋で、分からない人」ではあるのですが、こういう人は、たしかに周囲からすれば「謹厳実直な人格者」よりも面白く感じられることも多いんですよね。 もちろん、松下幸之助さんの場合には、「従業員思いの経営者」という「基盤」があるからこそ許されるのでしょうけど。
こういう経営者像というのが、2009年の日本でも受け入れられるのかどうかはなんとも言えませんが、こういう「人間関係における切り替えの早さ」っていうのは、いつの時代でも有効なのではないかなあ。
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