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2008年11月23日(日)
「人生もやめます」という女子学生のメールに、准教授はどう対処すべきだったのか?

『「心の傷」は言ったもん勝ち』(中嶋聡著・新潮新書)より。

【遺書をのこして自殺でもすれば、それこそ同情が集まり、「傷つけた」とされる相手はとんでもない悪者として扱われる、ということが往々にしてあります。
 2007年4月、高崎経済大学の准教授が懲戒免職になりました。この准教授が、大学二年生に対して大学院レベルの課題を与え、期限までに提出しなければ留年だと通告したところ、女子学生が自殺した、その責任を追及されてのことでした。
 私はその話を聞いて、開いた口がふさがらなくなりました。この准教授の、いったいどこが悪いのでしょうか。大体、学問を志す者というほど大げさでなくても、大学に入って「ほんとうの学問」を学ぼうとする者が、大学レベルだからできる、大学院レベルだからできないなどと言っていられるでしょうか。もしそんなことを言っているなら、それこそ甘ったれています。また、そうしたむずかしい課題をあえて与え、「やる気があるならはい上がってこい」と突き放すのも、ひとつの立派な教え方ではないでしょうか。
 この先生は、女子学生から、期限までに提出できなければ、それは当然、学生本人の責任です。その結果留年になるというなら、留年するしかないでしょう。
 「人生もやめます」と言われてあわてているようでは、それまでの指導方針との一貫性がとれません。黙って様子をみているのが、一番賢明でしょう。なにしろ徹頭徹尾、本人の問題なのですから。言うとすれば、「勝手にしなさい」とでも言うしかないのではないでしょうか。小学校の先生ならともかく、大人か、それに近い学生を相手にする大学の先生に、こんなことに対処する責任はないと、私は思います(もしあるとすれば、大学の先生はいまや、小学校の先生になっているということでしょう。もちろん、小学校の先生を馬鹿にする意図はありません。念のため)。
 朝青龍問題でもそうですが、先生とか親方とかいうのは、いまや生徒(学生)や弟子のご機嫌をとるしもべなのでしょうか。最近のいろいろな事件をみていると、そう思わずにはいられません。
「傷ついた」「いやな思いをした」と訴える基準も、現代でははなはだ低くなっています。そのため、とりたてて悪いことをするつもりがなくても、日常生活のちょっとした出来事から、こうした穴に落ちてしまう可能性があります。】

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 この「学生を死に追いやった課題」は、「アダム・スミスの重商主義批判について」だったそうです。
経済学に疎い僕にはその「難易度」は全くわからないのですが、その大学の学部長は「大学院生レベル」と判断したのだとか。

 これを読みながら、僕はなんというか、とても厭な感じになりました。この事件に対しても、筆者の中嶋さんに対しても。
 これは、教官がその立場を利用して学生を追い詰めるアカハラ(アカデミック・ハラスメント)なのか、それとも、「このくらいで死を選ぶほうに問題がある」のか?
 「実際はどうだったのか」がすごく気になり、この事件のことを調べてみたのですが、当時『探偵ファイル』というサイトに、「両者の最後のやりとり」として、こんな内容が公開されていたそうです。
 この学生は優秀で、准教授とのやりとりは英語でなされていた、とのこと。

【准教授17:07(英文/日本語訳):
「私は5:30に帰宅します。
 もしこれに間に合わなければ2年生の単位は習得出来ません。」

彼女のメール17:44(英文/日本語訳):
「留年することはわかっています。さらに人生もやめます。
 あなたは私の弱さに怒るかもしれませんが、
 私はすでに自殺することを決意しました。
 私は心より感謝し謝罪します。」

准教授(英文/日本語訳)17:57:
←10分以上も経った上に、
 自殺を止めないで、あまりに素っ気ない非人道的な内容!
「あなたは私に連絡しなくてはならない。これは命令です。」

彼女のメール18:18(英文/日本語訳):
「すいませんが、あなたの命令に従う意思は全くありません。
 長いこと自己嫌悪に陥ってしまって大変失礼しました。
 私が死ぬことをどうかお許し下さい。」

彼女のメール19:26(ここでは日本語に・・・):
「こんな出来損ないの面倒を見させて、すいませんでした。
 お世話になりました。ゼミ楽しかったです。」 】

 まあ、こういう「ネット上で公開されていたもの」の信憑性については疑わしいところもあるのですが、ここでは、「これが事実だった」ということで話を続けます。

 この准教授はこれまでもかなりキツイ課題を学生たちに課すので有名だったそうです。
 しかしながら、この自殺した女性は、そのことを承知でこのゼミを選択したらしいですし、生徒を教える側の立場からすれば、「宿題ができないから自殺する」と言ってきた生徒に対して一度「譲歩」をしてしまうと、学生からの「脅迫」には際限がなくなっていくことが予想されますし、他の生徒にしめしがつかないのも事実でしょう。
 「あの先生は、『できないから死にます』って脅かしたら単位くれるぞ」なんて話が学生に広まったら、どうしようもない。

 いや、この本の著者である、東大医学部卒の中嶋先生の感覚では「学問の世界というのは、そういうふうな『鍛え方』もあるのだ」と感じるのもわかるんですよ。
ほんと、不躾な言い方ですが、高崎経済大学に入学した学生たちに、そこまでの「覚悟」や「学問との向き合い方」を要求するのもどうかな……と僕は感じます。「そんなに志の低い大学が必要なのか?」と言われるかもしれないけれども、実際には「そういう大学」が世の中にはけっこうあるわけで……

 たぶん彼女が死を選んだのは、この課題だけの問題ではなかったのだと僕は想像しています。このふたりのメールが本物であるならば、なんというか、まるで安っぽい「悲劇ドラマ」の登場人物のやりとりみたいですし。
 しかし、大人になってしまうと、「たかが単位のことで死ぬくらいなら留年すればいい」とか「テストで悪い点をとっても次がある」なんて考えてしまいがちですよね。
 自分にも「留年」や「不合格」がすべてを台無しにしてしまうと信じていた頃の自分のことなんて、しっかり忘れてしまっていて。

 ただ、本当に死ぬ気があるのか、という見極めができないと「先生失格」といわれるのだとしても、大学の教員というのは、義務教育の「先生」ほど、「生徒の人格への責任」を問われないのは、中嶋さんが書かれている通りだと思いますし、少なくともメールの文面だけで、「この人は本当に死のうとしているのか」なんて、判断がつかないというのが正直なところじゃないかなあ。理想としては、こういうケースでは常に全力で対応することなのでしょうが、そこまでが「大学教員の仕事」なのかどうか。
そもそも、こういう大学教員はけっこういるはずなのに、「学生が自殺した」らアウトで、「学生が留年した」「退学した」はセーフっていうのも、ちょっとおかしな話ではあります。

それにしても、大学生相手ですら、こういうケースがあるのですから、小中学校の「先生」って、大変な仕事ですよね……

 まあ、東大を出て偉くなる人たちの多くがこういう考え方なのだとしたら、そりゃあ、日本から「アカハラ」は無くならないですよ。
 この事件の本当の問題点は、「難しい課題を出したこと」にあるのではなくて、「教える側と教えられる側の信頼関係やコミュニケーションの欠如」だと思うのだけど。

 ちなみに、この准教授は、その後「処罰が重い」として高崎市等公平委員会に不服を申し立てました。その結果、懲戒免職処分は重すぎるとして停職6ヶ月に処分を修正する裁決書が2008年6月に出されたそうです。