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2008年06月23日(月)
「安上がりですぐ撮れる」はずのシーンを「歴史に残る名場面」にした映画監督

『三毛猫ホームズの談話室』(赤川次郎著・光文社文庫)より。

(作家・赤川次郎さんと映画・音楽・歌舞伎・演劇など各界の親交の深い各界の著名人との対談集の一部です。映画監督・大林宣彦さんの回より)

【赤川次郎:どんなに映画のCGが良くできるようになったとしても、できないものがある。黒澤(明)監督の『生きる』にハッピーバースディのシーンありますね。自分にやるべきこと、やることがわかったというとき、ハッピーバースディの歌が流れる。あのシーンの衝撃というか、すばらしさは、やっぱりどんなCGだって追いつかない感動です。

大林宣彦:しかもあれは、企画シナリオでは、「男がひとり、孤独に酒を飲んでいる」としか書かれていなかったそうです。それで、プロデューサーたちは、「これは安上がりですぐ撮れる」と思った(笑)。そうしたら監督が、「大勢のハッピーな人たちの中にいなきゃ、この孤独は表現できないから、この映画で一番贅沢なシーンにしよう」と言って、大キャバレーを作って、エキストラをたくさん入れて、それであのシーンができたんです。ところが、CGで描くと、一人で酒を飲んでるのも、百人の中で酒飲んでいるのも、手間暇は変わらない。そこがCGの限界だと思うんです。

赤川:あれだけのエキストラを、監督の思うように動かすのは、すごい大変なことじゃないですか。

大林:そうですよ。やっぱりどこか観客も現実の世界に住んでいるから、大変だっただろうなということも感動になるわけです。

赤川:これはさぞかし手間がかかっただろうなっていうのも、ですね。タイミングが一瞬でもずれたら、あの感動はない。主人公が階段をパパパッと下りてきて、入れ違いに誕生日のお祝いをしてもらう人が上がっていって、ハッピーバースディのコーラスが聞こえてくる。あのタイミングがいい。いったい何回やり直しただろうと思いますね。

大林:監督の「OK!」の声まで伝わってくる。「良かったね。このカット撮れて」みたいな。そういうことを含めて、想像力ということです。】

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 CGの話に関しては、デメリットだけではなく「CGだからこそ実現できたスペクタクル」というのもあるでしょうし、「大変だったろうなという感動」というのは、観客にとっては「邪念」なんじゃないかという気もします。
 しかしながら、この話の中に出てくる、黒澤明監督のこだわりのすごさには、ただ脱帽するばかりです。やっぱり「世界のクロサワ」とまで呼ばれる人だなあ。
 この『生きる』という映画、かなり古い作品(1952年公開)であり、いま観ても「面白くない」と感じる人も多いのではないかと思います。正直、僕も「これは傑作だ!」というよりは、「これが『傑作』というものなのか……」と、教科書を読むような気持ちで観た記憶がありますし。
 でも、この「ハッピーバースディ」のシーンというのは、ものすごく印象に残っているんですよね。
 【企画シナリオでは、「男がひとり、孤独に酒を飲んでいる」としか書かれていなかった】のに、黒澤監督は、それだけのシナリオからイマジネーションを膨らませて、あれだけのシーンを作り上げたのです。「すぐ撮れる」と思っていたプロデューサーたちは、さぞかし仰天したことでしょう。
 まさか、シナリオのそんな一行が、あんなお金のかかるシーンになるなんて!

 『生きる』の「ハッピーバースディ」のシーンには、「大勢のハッピーな人たちの中にいなきゃ、この孤独は表現できないから」という黒澤監督の狙い通りのインパクトがあるのです。しかしながら、大部分の監督は、企画シナリオから「そんなこと想像もできない」でしょうし、残りのほとんどの監督も「想像はできても思った通りのシーンを撮ることはできない」はず。

 映画監督って、黒澤明って、本当に凄いんだなあ。偉そうに「カット!」とか言ってるのが監督の仕事じゃないのか……
 それを実現できるだけのお金を引き出せたというところも含めて、黒澤監督は、まさに「巨匠」と呼ばれるにふさわしい人だったのですね。