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2008年03月09日(日)
「昔は私も、”本を読む”ということを難しく考えていたことがあった」

『そして私は一人になった』(山本文緒著・角川文庫)

【私はだいたい月に7〜8冊の本を読む、本の世界と関係ない人や、特に本好きでない人から見たら多いかもしれないけれど、私が属している世界の中では、年間100冊というのはそう多い方ではない。
 でもそれは、ずっと昔からのことではなくて、大人になってからのことだ。今は小説を書くことも読むことも大好きだけれど、十代の頃は読書なんかちっとも好きじゃなかった。
 いや、今思うと本が嫌いだったわけじゃなく、若い頃は何を読んだらいいのか全然分からなかったのだ。以前知人が「たまには何か本を読もうと思っても、たくさんある本の中でどれを選んだらいいか分からない」と言っていた。まさにそれである。
 分からないから、例えば本屋の店先に積んであるベストセラーを読む。でも、つまらない。雑誌に紹介されていた本を読んでもみる。でも、つまらない。友人が面白かったと勧めてくれた本を読む。でも、つまらない。そうなると、本っていうのはつまらないものだという結論が出てしまうことになる。
 そこで諦めずに、何でもいいから自分が面白そうだと思う本にチャレンジしていくうちに、”自分にとって面白い本”というのが絶対見つかるのだ。私はそうやって、いい歳の大人になってからやっと、自分が面白いと思える本に出会うことができた。一冊見つかれば、後はもう簡単である。同じ作者の本を探したり、その作者が勧める本を読んだり、作者が違っても同じジャンルの本を読んだりすると、また好きな作家が見つかる。小説に限らず、ノンフィクションも学術書も同じことである。
 昔は私も、”本を読む”ということを難しく考えていたことがあった。読書は立派なこと、偉いこと、勉強なんだと構えていたからいけなかった。
 今は私にとって、本を読むのは音楽を聴いたり映画を見たりするのと同じである。文学的価値があろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいことなのだ。売れていようと売れていまいと、まわりのひとが皆つまらないと言っても、自分さえ面白ければそれでいい。自分さえ夢中になれればそれでいいと思っている。
 冊数だってそんなに重要なことじゃない。時々こんなに私は本を読んでいると自慢する人もいるけれど、冊数をのばすだけなら誰でもやろうと思えばできることだ。その中で何冊心に響く本があったか、一冊でも人生を変えるような本に出会ったのか、その方がよっぽど重要なことだと思う。
 私も何度か読んだ本に人生を変えてもらったし、私自身も本を書いて生計を立てている。読んでは書いて、書いては読んで、そうやって一日が終わり、一週間が終わり、月日が過ぎていく。
 しあわせだなあ、と心から思う。
 いつまでも、このしあわせが続きますようにと、ベッドの中で眠くなって本を閉じるときにそう思う。】

〜〜〜〜〜〜〜

 直木賞作家・山本文緒さんにとっての「本を読むということ」。
 本を書くことを生業としている山本さんも、十代の頃は、「読書なんかちっとも好きじゃなかった」のですね。まあ、作家というのは、桜庭一樹さんのような「読書好きが高じて作家になった」ようなタイプと、東野圭吾さんも「ほとんど本は読んだことがなかったけれど、当時のベストセラーになった江戸川乱歩賞受賞作『アルキメデスは手を汚さない』(小峰元著)を読んで自分も書いてみようと思った」ようなタイプと両極端に分かれるみたいなのですけど。

 これを読んで、僕も中学生くらいまでは「何を読んだらいいのか全然わからなかった」ことを思い出しました。
 いや、正確には、当時の僕は『怪盗ルパンシリーズ』と歴史小説にしか興味がなくて、「こんなに偏った読書をしていていいのか?」「もっと『名作』や『勉強になる本』を読むべきではないのか?」と悩むことが多かったんですよね。
 勉強にならないような本には、「読む価値」が無いのでは?と。
 マンガに比べて、「活字だけの本」を読んでいるとそれだけで「読書家」「勉強家」というイメージを持たれがちなのですが、当の本人としては、自分の「読書傾向」に満足していたわけではありませんでした。
 僕自身は、高校時代、筒井康隆さんの作品に「こんな公序良俗に反する本を面白がって読んでいいのだろうか?」と思いながらもあまりの面白さにハマってしまったことで、ある種の「自分の好みに対する覚悟」ができましたし、「本は読みたいものを読みたいだけ読めばいいのだ」ということを理解できたような気がします。
 
 たぶん、「すべての本を面白いと思う人」と「すべての本をつまらないと思う人」というのは、どちらも同じくらい稀な存在なのです。
 もちろん、ストライクゾーンが広い人もいれば、ものすごく狭い人もいるのでしょうけど、最初に「自分にとって面白い本」を見つけることができるかどうか、そして、それをいつ見つけるのかによって、その人の「読書人生」は大きく左右されるのです。
 とくに子どもたちには、「勉強になる本を読むこと」や「つまらない本でも最後まで読むこと」を強要するよりも、とにかく「自分で面白いと思える本に出会えるまでいろんな本を少しずつでも読ませてみる」ほうが、「本好き」になってくれそうな気がします。

 まあ、実際は「本好きになる素質がある子どもは、勝手に自分で試行錯誤して『面白い本』を見つけ出してしまうもの」なのかもしれませんけどね。