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2008年02月23日(土)
「お笑いって絶対に、負けのない職業だと思えたんだよね」

『ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』 (大田出版)より。

(この本に収録されている、浅草キッドの水道橋博士へのインタビューの一部です)

【インタビュアー:自分を『たけしのオールナイト』が救ってくれたのは、今振り返ると、どういうところが最も衝撃的だったからだと思います?

水道橋博士:これはあちこちで話していることだけど、放送を聴いていて、お笑いって絶対に、負けのない職業だと思えたんだよね。一生貧乏のまま終わっても、笑い飛ばせればいいわけだから。俺、それまでは竹中労に憧れて「ルポライターってかっこいいな」と思ってたんだけど、「部屋にひきこもってオナニーばっかりしている自分が何が正義かを問えるのか? 社会のために何か行動を起こせるのか? 起こせるはずがないじゃないか!」と思ってたの。もちろんお笑いの世界だって「クラスでひとことも話さない俺にできるはずがない」とは思うんだけど、でも、ひょっとしたら「こいつはしゃべらない男だぞ」ってことで笑いにつながることもあるだろうし、結果的にはまったく売れなかったとしても、それも笑い飛ばせるわけだし、どっち転んでも「しょうがねえなこいつは」って言葉で救われる。だからお笑いこそが最強だと思った。たけしさんがやったように、やりたい放題で、女を抱いてもいいわけだし。だって『たけしのオールナイトニッポン』のおねぇちゃんネタって、不倫をリアルタイムで実況してたようなもんじゃない? ああいう反社会的なことを公然とやっても、そこに笑いさえあれば、それは認められるんだって感じ。それまでは「正義」ってことが俺の中ですごく重要だったんだけど、正も邪もどちらも合わせて呑みこむ「お笑い」の中に突破口がある、そこにやっと出口を見つけた。お笑いは本当に最高の職業だな、って感じが『ビートたけしのオールナイトニッポン』にはあった。今でもたけしさんのそばに、十何年もずーっと一緒にいるんだけど、まるで売れない芸人とか、いっぱいいるわけじゃない? でも、彼らにも負けはないわけだしさ。そういうメッセージは、『たけしのオールナイトニッポン』の中にすごく入っていた。人生、勝ち負けじゃないんだよ、っていうことを教えてもらったのが一番大きいかな。あとは「くだらねぇな」とか「しょうがねぇな」っていう価値観。

(中略)

インタビュアー:博士は地方で鬱々としながら毎週『オールナイト』を聴いて「いつかは殿のもとに」と思ってたわけですよね。僕もそうですし、そういう少年たちって、当時日本中に何万人もいたと思うんです。だから博士は、その少年たちの中で、夢を実現した唯一の人、みたいなところがあると思うんです。

博士:そう思うね。「私は現在、地方でこういう生活をしていますが、当時『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聴きながら、ニッポン放送の前に行こうか行くまいか何度も悩みました。博士は、もう一人の私なんです」というような内容のメールはよくもらうし。俺も、そっち側にいる自分を何度も想定したからね。きっといずれは故郷に帰って、貯めていた『オールナイト』のテープを毎晩聴きながら泣くんだろうな、って思ってたからさ。

インタビュアー:正直、当時のたけし軍団って、みんながみんな、博士ほどたけしさんに心酔してる人たちばかりでもなかったと思うんです。

博士:そうだね。俺を玉袋(筋太郎、「浅草キッド」の相方)とコンビを組んだのは、そこの連帯感だから。「俺らは本当にビートたけしのことが好きなんだ!」っていう。俺たちが人気者になりたいわけじゃない。単にビートたけしの一番近くにいたいだけっていう。ビートたけしの弟子じゃなかったら、俺、お笑い界に入ってないから。

インタビュアー:芸人になりたかったわけですらない?

博士:俺の場合、そう言っても過言じゃないんだよね。少なくとも自分にとっては「お笑い」というジャンルよりも「ビートたけし」のほうが存在として大きかったし、「ビートたけし」のほうが好きだったのは間違いないね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 『ビートたけしのオールナイトニッポン』は、1981年の1月から、1990年の12月まで、毎週木曜日の25時から27時まで放送されていた、まさに「伝説の深夜放送」です。
 僕にとっては、まさに「自分の10代とともにあった番組」なんですよね。
 こちらで紹介しているように、内容的にはかなり際どいというか、生真面目な少年だった僕にとっては「早口で何を言っているかよくわからず」「ちょっと悪のりしすぎているんじゃないか」と思われるようなところもあって、「その時間に起きていれば聴く」というくらいの存在ではあったのですが、それでも、2時間すごいペースで喋り続けていたたけしさんの口調を、今でもすぐに思い出すことができるのです。

 この水道橋博士のインタビューによると、博士は病気のために高校を留年し、自分の将来にも希望を持てず、「このまま高校を卒業して家業の紙問屋を継いで、普通に結婚して年取っていくんだろうなあ……」というようなことを考えて鬱々としていた時代に、『たけしのオールナイトニッポン』に出会い、衝撃を受けたのだそうです。
 これ読むと、博士がその時代から現在まで、「とにかくビートたけしが大好き」ということがよくわかります。
 人と人との関係というのは時間によって変わっていくのが当たり前ですが、今は同じ「芸人」というフィールドにいるにもかかわらず、これほど「変わらない関係」を維持しているというのもすごいですよね。
 普通だったら、少しは批判的になったり、敵愾心を持ったりしそうだもの。
 
 「お笑いって絶対に、負けのない職業だと思えたんだよね」という博士の言葉は、すごく印象的です。
 実際は、『M−1グランプリ』のような、「はっきりとしたガチンコ勝負の場」でなくても、「芸人」たちは、日常的に「今日はネタがウケた」とか「あいつらより俺たちのほうが面白かった(つまらなかった)」など、「勝ち負け」を意識している人がほとんどではないでしょうか。浅草キッドのお二人だって、そういう「競争意識」と全く無縁ではないはず。
 でも、「芸人として生きる」というのは、トータルでみれば、確かに、「全然ウケず、売れなくても、それはそれでひとつの『どうしようもない芸人の人生という芸』として成り立っている」のかもしれません。もちろん、芸人たちが、みんなそんなふうに考えているわけではないのでしょうけど。

 ただ、こういう「絶対に、負けのない職業」というのは、ある意味、「絶対的な、勝ちもない職業」という面もあるんですよね、きっと。
 「しゃべらない男」が笑いにつながることがある一方で、「クラス一面白いと言われ続けてきた、おしゃべりな男」が「全く笑ってもらえない」ことだってある世界。
 どんなネタだって、100%の人を笑わせ、楽しませることなんてできないし、観客から求められるネタに、自分で満足できることばかりではないはずです。人気やお金はひとつの「バロメーター」ではあるのでしょうが、もちろんそれが全てじゃない。
 「上」を望めばきりがないし、そもそも、何が「上」なのかよくわからない。
 今は人気絶頂でも、いつ飽きられるかわからないし、「次世代」はどんどん突き上げてくる。
 そう考えると、「売れている芸人」のほうが、むしろ、「ゴール」が見えなくて辛いときもありそうですよね。

 水道橋博士は、今でも「お笑いって絶対に、負けのない職業だ」と思っているのでしょうか?