初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2008年02月19日(火)
「でも、親になったおかげで、子どもの頃の自分との距離がうんと近くなった」

『流星ワゴン』(重松清著・講談社文庫)の重松さん自身による「文庫版のためのあとがき」より。

【「父親」になっていたから書けたんだろうな、と思う自作はいくつかある。『流星ワゴン』もその一つ――というより、これは、「父親」になっていなければ書けなかった。そして、「父親」でありながら、「息子」でもある、そんな時期にこそ書いておきたかった。
 ぼくは28歳で「父親」になった。5年後、二人目の子どもが生まれた。二人とも女の子である。
 その頃から思い出話をすることが急に増えた。忘れかけていた少年時代の出来事が次々によみがえってきた。身も蓋もない言い方をしてしまえば、それがオヤジになってしまったということなのかもしれないが、ちょっとだけキザに言わせてもらえれば、「父親」になってから時間が重層的に流れはじめたのだ。
 5歳の次女を見ていると、長女が5歳だった頃を思いだし、その頃の自分のことも思いだす。さらにぼく自身の5歳の頃の記憶がよみがえり、当時のぼくの父親の姿も浮かんでくる。
「子を持って知る親の恩」なんてカッコいいもんじゃない。愛憎の「憎」の部分が際立ってしまうことのほうが多かったりもする。記憶から捨て去ったつもりでいた過去の自分に再会して、赤面したり、頭を抱え込んでしまったりすることだって、ある。
 でも、親になったおかげで、子どもの頃の自分との距離がうんと近くなった。その頃の父親の姿がくっきりとしてきて、当時はわからなかった父親の思いが少しずつ伝わってくるようにもなった。そのことを、ぼくは幸せだと思っている。】

〜〜〜〜〜〜〜

 『流星ワゴン』という小説は素晴らしい作品だったのですが、この「文庫版のためのあとがき」も、既婚・子ども無しの僕にとって、とても考えさせられる内容だったのです。

 僕より年齢が上の人たちが、その人の子ども時代のことを生き生きと語りだすのを聞いていると、「僕は記憶力が鈍いのだろうか?」と思ってしまうのですが、この文章を読むと、「ずっと覚えている」のではなくて、「子どもを持つことによって、自分の子ども時代のことを思いだす」ということのようです。自分の子どもを持つというのは、ある意味、「自分が子どもだった頃のことを再確認する機会」でもあるんですね。

 僕はずっと、「子どもを育てるっていうのは、苦労のわりに親にとっては何のメリットも無いのでは……」と感じていたのですが、子どもを持つということそのものが、ものすごく「新鮮な体験」なのだということが、この重松さんの文章からは伝わってきます。
 まあ、そういう「忘れてしまったはずの過去の記憶」のなかには、恥ずかしかったり、後悔したりしてしまうものも少なくなさそうですし、「自分がいかにイヤな子どもだったか」を再確認するのは、けっこう辛い体験になるのかもしれませんけど。