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2007年12月16日(日) ■ |
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『ハチワンダイバー』の作者に「引導を渡した」プロ棋士 |
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『このマンガがすごい! 2008』(『このマンガがすごい!』編集部・編:宝島社)より。
(「オトコ編」1位に輝いた『ハチワンダイバー』の作者である柴田ヨクサルさんへのインタビューの一部です。取材・文は伊熊恒介さん)
【インタビュアー:ご出身は北海道の……。
柴田ヨクサル:留辺蕊(るべしべ)って町なんですけど、今はもう北見市に吸収合併されてしまいました。なんにもない田舎なんで、将棋も暇つぶしの一環で始めて。
インタビュアー:奥深さにハマッていった。
柴田:しばらくして子供たちを集めてやる大会に出たんですけど、そこには同い年くらいで、けっこう強いやつがいるんですよ。単純にそういうやつに負けたくないっていうのもあって。まあ、その子たちもそんなに強くなくて、ちょっと覚えるとすぐ抜かしちゃったんですけど。
インタビュアー:留辺蕊の少年将棋界で強豪としてのしていくわけですね。
柴田:はい。デパートの大会で勝ったりして。
インタビュアー:勝ち上がるたびに、将棋の面白さに引き込まれて。
柴田:ただ、途中でファミコンが我が家にやってきた時には、横道にそれるんですけど(笑)。やっぱり将棋のほうが面白かったですね。
インタビュアー:どのくらいまで上り詰めたんですか?
柴田:小6のときには相当強くなっていたので、将棋連盟の留辺蕊支部長から奨励会入りの話が出てきました。
インタビュアー:おお、将来の目標は決まった!
柴田:小学校の卒業アルバムには「自分のなりたいもの」に「プロ棋士」って書きました。今見ると、悲しくなりますね。
インタビュアー:そのくらいの意気込みはあったんですね。
柴田:それで、何回かプロの方と指して実力をためされて、関根茂九段(当時。現在は引退)と二枚落ちでやって勝てたら、いよいよプロ入りをお願いするって話になったんですよ。でも、結局負けてしまって。しかも「これじゃ通用しないよ」って言われて恐ろしいほどのショックを受けて、その日からぱったりと指さなくなりました。
インタビュアー:子供にもバッサリ言うんですね……。
柴田:その日のことはずっと後悔をしていて、今でもなんとなく局面を思い返すことがあります。
インタビュアー:四半世紀近くも経っているのに。
柴田:ものすごく恥ずかしい手をさしてしまいましたから。「あの時、なんてあの手を?」みたいな……。
インタビュアー:その悔しさみたいなものが、1巻で菅田が泣きながら指すシーンに投影されているのでは?
柴田:多少あります。
インタビュアー:やっぱり泣きましたか。
柴田:家に帰って泣いたと思います。
インタビュアー:そこからもう一度「見返してやるぞ!」って気には?
柴田:ならなかったですね。その日からは将棋を見るのも嫌になっちゃいました。今くらいの精神力があれば立ち直れたと思うんですけど、当時は無理でした。
インタビュアー:それまで天狗になっていた自分が全否定されたんですね。
柴田:完全に天狗でした。もう、調子こきまくりですよ。どこのデパートにいっても子供相手なら負けないし。
インタビュアー:では、中学に入ったら将棋のことは忘れちゃってたですか?
柴田:そうですね。それからは将棋のプロになるっていうのは、ぜんぜん考えなくなっていました。今思えば、羽生善治さん達とほぼ同期でしたから、最強世代の天才たちと当たることを考えたら、あそこで挫折していてよかったと思いますよ(笑)。
(中略)
インタビュアー:将棋を知っている読者と、門外漢の割合はどのくらいなんでしょう?
柴田:8対2、くらいで考えていたんですけど、どうやらそうでもない感じで。実際には6対4くらいじゃないかな?
インタビュアー:棋譜の監修は鈴木大介八段ですね。
柴田:将棋だけじゃなくて、いろんな面で本当に助けていただいてます。
インタビュアー:対局シーンに関しては、どのような関わり方なんですか?
柴田:僕から鈴木八段に「こういう流れで、この戦法を使って逆転勝ちするように作ってください」っていう感じでざっくりお伝えすると、途中の棋譜も含めて作っていただけるんですよ。その棋譜が実に感動的で、これをどうやって伝えようかと日々考えています。
インタビュアー:それはプレッシャーですね。
柴田:ええ。対局場面にこりすぎると、将棋を知らない読者がついていけなくなってしまうし。
担当:いつもそこで紛糾してますね。「NHKの将棋中継じゃないんですから!」って(笑)。
柴田:でも、本当に将棋の好きな人は、対局自体にワクワクもするから、小さな画面でも、しっかり持ち駒まで描いています。もし時間あって、そこで考えてもらえれば、それなりのものがわかるようにはしてあります。】
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現在『週刊ヤングジャンプ(集英社)連載中の『ハチワンダイバー』、この本のランキング(オトコ版)でも見事1位に輝いており、まさに絶好調、という感じです。 僕はこのインタビューで、作者の柴田ヨクサルさんが、子供時代に真剣に棋士を目指していたというのをはじめて知りました。ある有名な棋士が「私はこうして棋士になれたけど、兄は私より頭が悪かったから東大に行った」と言ったという伝説があるのですが、プロ棋士の世界というのは、まさに「選ばれた天才中の天才」たちがしのぎを削る厳しい世界なのです。
柴田さんは1972年生まれですから、僕とほぼ同世代。「ファミコン直撃世代」にもかかわらず、柴田さんが、「最終的にファミコンに転ばずに将棋を選んだ」というのは、「よっぽど将棋が好きだったんだなあ」という気がします。当時は、僕も含め、多くの子供たちがファミコンをはじめとするテレビゲームに転んで、人生を誤ったり、人生の目標を変えてしまったり(ゲームデザイナーになる!とか、「ナムコに就職する!」とか叫んだり)していましたから。
そんな柴田さんが、「プロ棋士になる夢を諦めた対局の話」には、僕も絶句してしまいました。「二枚落ち」ということは、相手には飛車と角が無いわけです。いくら当時の柴田さんがまだ子供で、相手はプロ棋士、しかも九段とはいえ、この条件で勝てなければ「才能が無い」と言われるのも仕方ないのかもしれません。でも、今までずっとプロ棋士になることを人生の目標としていた子供に、たった一度の勝負で「引導」を渡してしまうのは、あまりに残酷ではないかとも思うんですよね。 プロ棋士の世界は、一部に「負けたら終わり」のトーナメント方式の大会もありますが、多くはリーグ戦であり、「負けなしの連勝」ができなくても、安定して8勝2敗、7勝3敗を続けられればかなり立派な成績なのです。あの羽生善治さんですら、2006年度(2006年4月〜2007年3月)における、タイトル戦などの公式戦では34勝17敗の勝率67%。逆に言えば、「羽生さんでもタイトルがかかった勝負で強い棋士を相手にすれば、3回に1回は負ける」世界です(ただし、ランクが下のほうになるほど、勝ち続けないとなかなか上には行けないのも事実なのですが)。 たとえば、10局くらい指してみて、「やっぱりダメだ」というのなら話はわからなくもないのですが、たった一度の勝負で「これじゃ通用しない」と言い切るなんて……
プロ棋士というのは、本当にそれだけで「わかる」ものなのかなあ……いや、結果的には、柴田さんはマンガ家として成功することができ、こうしてまた将棋について笑って語れるようになったから良いものの、子供時代にこういう形で挫折してしまったら、二度と立ち直れなくなる人もいるのではないかという気もします。 ただ、確かに「才能の無さを見切ることができるのなら、早いほうがいい」のも事実なんですよね。
【満21歳(2002年度以前の奨励会試験合格者においては満23歳)の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を迎える三段リーグ終了までに四段に昇段できなかった者は退会となる。ただし三段リーグで勝ち越しを続ければ満29歳を迎えるリーグ終了まで延長して在籍できる】
というのが奨励会の年齢に関する規定なのですが(四段になれば晴れて「プロ」の仲間入り)、「プロ棋士を目指したにもかかわらず挫折した人」というのは、「20代後半になっても何の資格もない、将棋のことしか知らない人間」としてその後の人生を送らなければならないのです。それを考えると、「がんばれ、やればできる!」って励ますことだけが「目の前の子供への本当の優しさ」ではないのかもしれません。
それにしても、ここで紹介されている鈴木大介八段に関するエピソードを読むと、やっぱりプロ棋士っていうのは、すごい人たちなんだなあ、と驚かされるばかりです。リクエストに応じて、「感動的な棋譜をつくりあげる」なんて、単なる「将棋好き」の僕にとっては、想像もつかないような話だ……
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